元泰国三菱商事社長、元盤谷日本人商工会議所会頭 有川武俊氏単独インタビュー

タイとの関わりはいつからですか?

1969年に大学を卒業し三菱商事に入社しました。英語はあまり得意ではなかったのですが、商社に入った以上、海外に行ってみないかということになり、71年に社内の語学研修生としてタイに赴任しました。

当時は世界に32カ所ぐらい語学研修制度の渡航先があり、人気だったのはフランスやスペイン。その当時、中国はまだ皆さんの頭にはありませんでした。タイも同じ。当時の私の担当が輸出の仕事で、その相手国がタイでした。

赴任は71年~73年。ただ、赴任と言っても、駐在員とは違い給料も少ない。コンドミニアムに住むわけでもなく、タイの人の家にホームステイ。私が下宿したのは、王宮のそばにあったタイの方の家でした。

語学学校は、シーロムにありました。でも、あまり面白くない。イタリア人の研修生とも友人になりましたが、二人ともに英語はダメ。つたないタイ語が共通語でした。あの先生の英語、分からないよねって話していました。

学校だけでは退屈だったので、タイの名門・タマサート大学にも顔を出しました。学校の食堂でタイ人の学生と知り合い、仲良くなりました。

研修生は仕事をしてはいけないルールになっていました。かなり厳格で、日本人の働くエリアにも近づいてはいけない。とにかく、仕事の中に入ってはいけないと言われていました。

とにかく、タイ人社会に入り込めというのが会社からの指示でした。タイ語研修生は、在任中にタイ文部省の小学校高学年向け教員免許を取らなければならない決まりになっていました。日本に帰ってもタイ語の習得度をチェックできる人がいないから、それが目安とされていたのでしょう。

研修生生活が終わり、いったん日本に戻りました。ただ、三菱商事の場合、研修生は後に最低2年間は当該国に「お礼奉公」しないといけない。今度は駐在員として。私が赴任したのは、75~81年の6年間。プラスチック、肥料、燃料の担当をしました。その後、帰国して化学肥料部長などを務めました。

その後、98年にタイ三菱商事の社長ポストが空くことになり、3回目の赴任となりました。

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98年~2002年までタイ三菱の社長を務めました。途中、1年間、商工会議所の会頭も務めました。

社長を退いた後の2002年4月に日本に帰国。今度は三菱グループの大日本明治製糖に移り、そちらの社長に就きました。2008年7月に相談役を退き、会社から完全に離れました。

これからゆっくりできると思っていた時のことです。タイ工業省産業振興局の知人から連絡があり、「これから日本とのつながりが多くなってくるので手伝ってほしい」と言われました。

中小企業業界についてあまり知識はなかったのですが、何かができるのではと考えた結果、赴任することにしました。2008年10月のことです。研修生時代から数えて通算4回目。肩書きは、タイ工業省産業振興局顧問。その後、09年8月に工業省に設置されたJAPAN DESKが活動の拠点となりました。10年2月からはJICA(国際協力機構)の専門家として勤務をしています。来年2月で任期満了の予定です。

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