炭鉱の街、福岡・筑豊。この地で1970年(昭和45年)に個人創業したのが、濃厚なスープで知られる豚骨ラーメンチェーンの「山小屋」。秘伝の味を守り続け、今ではJASDAQ市場に上場、国内に127店舗、海外に25店舗を数えるまでに成長した。この「山小屋グループ」を40余年にわたり率いてきたのが現名誉会長の緒方正年氏。65歳。現在は、海外最多を出店する最大拠点タイと日本を行き来する忙しい日々を送っている。その緒方名誉会長にタイ出店に至るまでのエピソードを語ってもらった。
海外に出店することなったきっかけは何ですか?
1990年代半ばのことだったと思います。知人のゴルファーに誘われて、タイにゴルフツアーに来たことがありました。その時に泊まったホテルの近くで食べたのが、すでに当時あった「らあめん亭」のラーメン。
味も店構えも、まずまずでした。「タイにも日本のラーメン屋があるんやなあ、ウチも海外に店を出せるようになるとええなあ」と漠然と思ったのが、今となってはきっかけだったと思っています。
その後、10年ほど経った2006年初めのころのこと。突然、1本の国際電話が私のところに掛かってきました。取り次いだ社員が「シンハビールからです」と言うのですが、「シンハって何やねん?」というのが第一印象でした。
そこで電話に出てみると、日本語のできるシンハビールの担当者。なんでも、サンティー・ピロムパクディー社長の秘書だとか言っています。「弊社のサンティー社長が、緒方社長(当時)にお目にかかりたいと申しております。航空券をお贈りしますので、タイに来ていただけませんか」
「こりゃあ、海外進出のチャンスかもしれん」ということになり、担当常務と渡航の準備をしました。実際に店を出すとなると、具材の調達ができるのかなど心配はありましたけどね。
実際にシンハ本社を訪ねてみて、対応はどうでしたか?
「手ぶらで行くわけにはいかんだろう」と、ゆうパックと提携して販売している「持ち帰りラーメン」を土産としていくつか持参しました。
応接室でサンティー社長と面会した時のことです。おもむろに、「食べたいから作ってくれないか」と言われましてね。いやあ、面食らいましたがね。「それじゃあ、ご馳走してあげよう」と。
ところが、そう言ったはいいが、調理場がない。そこで給湯室を借りてラーメンを作ることになりました。だが、あいにく同行した常務は調理ができない。そこで社長の私が腕まくりして作ることになったんですよ。
これが非常に良く受け止められましてね、「株式公開会社の社長が自らラーメンを作ってくれる。絶対にいい人、いい会社に違いがない」と、一気に信頼を得ることができました。