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「夢は実現できる!」タイでメジャーデビューを目指すシンガーソングライター、Chitoseさん

3万円を握り締め上京した

小学校に入る前から「歌手になるために生まれてきた」と信じていた。6年生で初めてオーディションを受けたときも、赤面して緊張はしたけど、やめようとは思わなかった。

中学生になってからは本格的なヴォイストレーニング。バスに揺られて40分。学業との両立で大変だったけど、辛いなんて思ったこともなかった。

高校生のとき母から聞いた話が妙に自分を納得させた。若いころポップス歌手になりたかったという父。私たちが生まれ、生活を考え、間もなく夢を諦めた。「DNAじゃん!」。ちょっぴり父が眩しく見えた。

高校卒業後は20歳で福岡から上京。「歌一本でいく」と決めていた。母には「友達がいるから安心して」なんて言ったけど、そんなのいるわけない。アルバイトで貯めた3万円を握り締め、東京駅に降り立った。

「私、このままだと歌手になれないかも…」

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東京暮らしはそれなりに楽しかったけど、昼と夜はみっちりバイト。空いた時間に歌のレッスン。そんなことをしているうちに、あっという間に4年が過ぎた。

「私、このままだと歌手になれないかも…」。たぶん、焦っていたんだと思う。でも、思い立ったらすぐ行動するのが私の癖。お金を貯め、4ヶ月後には拠点をニューヨークに移した。

ビザなし、コネなし、お金なし。滞在期限は3ヶ月。「ここで何するんだろ?」と思ったときに出会ったのが、日本人のネイルアーティストだった。

「ここまで来たんだから何か結果を残して帰りなさいよ。例えばCDを作るとか…」
「でも、私、英語ダメだし、お金も、コネもないし…」。
「人生ってね、自分が本気になって動くようになると、勝手に人が集まって来るものなのよ!」

根っからの楽天家なのかもしれない。「そっかー!じゃあ、やってみよう!」。ところが、簡単に進むはずもない。歌のレッスンを続けている間に帰国まで3週間となっていた。

帰国まで、あと6日

慌てて、ヘアメークアップアーティストの友達に相談。「まずはジャッケト用の写真が必要」となり、道行く人に声をかけて歩いた。「私、CDを出したいんですけど、ご協力を…」

上手くいくはずもなく凹んでいたところ、カフェで隣になった日本人女性が「あのう、私もカメラやってまして…。私で良ければ…」。翌週には200枚のジャケット用写真が手に入った。

続いて、日本人のグラフィックデザイナーとも知り合いになり、無償でジャケットを制作。さらには作曲家の日本人女性と出会い意気投合。わずか1日で収録曲が完成した。トントン拍子に事が進んだ。

だが、最大の難関はレコーディングだった。一人でできる作業と違い、収録には本格的なスタジオが必要。よもやニューヨークで、無償でレコーディングをしてくれるナイスガイは、日本人じゃなくともいなかった。帰国まで、あと6日。

You are great!

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「あ、もうダメか…」。そう諦めそうになりかけたとき、知り合いの女性ダンサーが声をかけてくれた。「ウチのクラブに今夜、黒人のプロデューサーが来るよ。ダメ元で聞いてみたら?」

通訳を介して頼んでみると、黒い瞳がギョロッと動いて「いくら出す?」。「い、1万円…」。やっとの思いで答えたのに、「馬鹿にしているのか!」と今度は怒鳴り声。でも、一歩も引くわけにもいかない。すると、「ここで歌ってみろ!」

「もう、どうにでもなれ!」と歌った曲は、ホイットニー・ヒューストンの名曲Greatest Love Of All。ところが、歌い終えた瞬間、「You are great!」。黒人プロデューサーの声がスタジオ中に響いた。続いて、「あさって、レコーディングだ!」とも。

こうしてCDは完成した。「やろうと思えばできるんだ。夢って叶うんだ」。帰国前日には友達を呼んで最後のニューヨークライブ。歌った曲はもちろんCDに収録したオリジナル曲undecided。感激の涙が激しく頬をつたった。

どん底からの再起

日本に戻ってからも音楽活動は続けたが、なかなかデビュー機会には恵まれなかった。そんなとき飛び込んできたのが、無名アーティストを紹介する深夜のテレビ番組。最終選考まで残り、心待ちにしていたが、届いたのは「年齢がねえ…」というつれない返事。28歳になっていた。

心がパリンと割れた瞬間だった。燃え尽きてしまったと言ってもいい。あんなに好きだった音楽なのに、歌うことさえ嫌になっていた。夫と知り合ったのは、そんなどん底のときだった。

夫は営業職のサラリーマン。ポジティブ思考が魅力的だった。来る日も来る日も励ましてくれる彼。「無理に歌うことはない」。やがて、いつしか笑顔を取り戻すようになった自分がいるのに気づいた。

夫の仕事の都合でタイに来たのは昨年10月。知り合った在タイ劇団のメンバーに頼まれ、発声指導をするようになったのが音楽との再会となった。それから半年が過ぎ、今では音楽好きの日本人を対象に日々、指導を続けている。

「音楽でどん底に落ち、音楽で自分を取り戻した私。それを支えてくれたのが彼、そしてタイの人々」。31歳になったシンガーソングライターは、タイでメジャーデューを目指しながら今日も歌っている。「夢は実現できるんだ」と。

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帰国前夜、NYでの最後のライブ。終了後、黒人プロデューサーが近づいてきて、こう話しかけてきたという。「やあ、チトセ。なぜ、オレがレコーディングしようと言ったか分かるかい?」。首を横に振るChitoseさん。「簡単なことさ。歌ってみろ、と言ったとき、キミは何の躊躇いもなく歌い始めただろう。それに感動したからサ!」

タイで在留届を提出済の日本人は最新の2012年統計で約5万人。企業などの駐在員や永住者、その家族などが多くを占め、滞在する男性の多くが仕事を持って暮らしている。女性についてはビザの関係から就労が難しいと一般的に理解されているが、実は「働く」女性は決して少なくない。新企画「タイで働く女性たち」では、タイで仕事やボランティア活動などに就き、活躍する女性たちを追う。

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