「人に感謝し、役に立つ人生を送りたい!」ヤマトナデシコ、渡辺江里子さん

「日本人にはたくさんお世話になった」

忘れることなど、どうしてできるだろうか。3・11東日本大震災。地震、津波、そして原発事故…。発生から4日後、タイにいた夫に呼び戻され日本を後にしたが、まさに後ろ髪を引かれるような思いだった。

タイで震災支援の活動をしようと、知り合いの日本人女性たちに声をかけたところ、2日間で約70人の仲間が集まった。タイ人アーティストがデザインしてくれたチャリティTシャツを、学校や病院、震災支援のイベント会場等で販売。募金活動も行った。

Tシャツを買い求めてくれたのは、屋台のおばちゃんなど普通のタイ人ばかり。決して余裕があるとは言えず、中には靴を履いていない人も。でも、みんな口々に言っていた。「橋を作ってくれたり、学校を作ってくれたり、日本人にはたくさんお世話になった。今度は私たちが助ける番だ。」

結局、Tシャツはタイと日本で約4000枚を売り切り、大使館を通じて日本赤十字に売上を全額寄付。「いつか、タイの人たちにお返しがしたい」と強く思った。

ネットワークがつながった

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半年後。今度はタイ中部を未曾有の大洪水が襲った。「今こそ、ご恩返しのチャンス」と仲間に連絡。日本人駐在員が一斉に避難する中で、それでも多くのボランティアが集まり、古着や不要になった生活雑貨を集めて被災地に送った。

一方、一時帰国した日本国内の仲間たちは、東京でイベントを開催。支援バッジを作って、タイの人々向けに募金を募った。日本で、タイで。ネットワークが国境を越えてつながった瞬間だった。

グループ名「ヤマトナデシコ in Thailand」を使うようになったのは、この頃から。繊細でも、優しくて、芯の強い日本の女性を表すヤマトナデシコ。「集まってくる女性は前向きで行動的な人や、お世話になっているタイのために何かをしたいと思っている情に厚い人ばかり…」

洪水被害が一段落した現在は、ミャンマーとの国境カーンチャナブリー県サンクラブリーで日本人が開設した「虹の学校」への支援を続けている。親と離れ国籍もなく孤児院で暮らす子供たち。古着で作った草履の売上やワークショップの収益金を送りながら、寄付金受付の窓口役も担っている。

生死を彷徨った父と母

高校2年の時、母がガンで倒れ、生死を彷徨った。病床で母は「死ぬ時に人を恨んで死ぬのではなく、感謝して死になさい。そして人に嫌われて死ぬより、感謝されて死ぬ人になりなさい」と娘に告げた。

しばらくの後、今度は父が心筋梗塞を起こし重篤に。日頃から「人様に迷惑を掛けるのではなく役に立つ大人になりなさい」と話していた父。10代の自分とって、これ以上ない重い体験だった。

両親は現在、投薬を受けながら治療を続けている。最悪の事態は脱したが、両親の相次ぐ病、介護体験が、今の自分の原点のような気がしてならない。

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「幸せ」に感謝しながら…

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留学先のイギリスで知り合った夫との出会いも忘れることができない。苦学生だった私と彼。アルバイト先のレストランで皿を洗うなどしながら、一つのパンを分けあった。

ある時のこと。ロンドンのカフェでお茶をしていたら、見るからに貧しそうな中東系の母と子が店内に入って来たことがあった。店員が追い払おうとしていたところ、夫は何も言わずに席を立ち、本来なら自分たちが食べるはずのパンを無言で彼らにそっと差し出した。「どうしてなの?」

「僕はお金持ちではないけど、このパンを渡したからと言って明日、死ぬわけではない。でも、あの人たちはそうではないかもしれない…」。人生への価値観が変わった。

数々の体験を経て、夫とともに今、バンコクで暮らしている。好きな仕事にも恵まれ、ボランティア活動にも参加できて…。「幸せ」に感謝しながら、少しでも世の人々のためになる人生を送りたいと思っている。

タイで在留届を提出済の日本人は最新の2012年統計で約5万人。企業などの駐在員や永住者、その家族などが多くを占め、滞在する男性の多くが仕事を持って暮らしている。女性についてはビザの関係から就労が難しいと一般的に理解されているが、実は「働く」女性は決して少なくない。新企画「タイで働く女性たち」では、タイで仕事やボランティア活動などに就き、活躍する女性たちを追う。

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