「慌てても仕方がない。ゆっくり一歩ずつ」
旅行にも訪れたことのなかったタイで、まさか幼稚園の先生をするとは思ってもみなかった。バンコクにある日本語と英語で保育をする幼稚園に勤めて早2年。働きやすい職場環境には満足している。
でも、最初は、先生同士のコミュニケーションで苦労したことも。同僚は、タイ人にフィリピン人など国籍は多岐に渡る。当然に異なる文化や風習。
「日本人だったら、こう言えば、普通はこう理解するのに…」。そう思ったことも一度や二度ではなかった。最初はその度に戸惑いを感じていたが、今ではそれも良い思い出。
「慌てても仕方がない。ゆっくり一歩ずつ」と思えるようになった。ちょっと一言添えるだけでいい。そういう配慮ができるようになった分、自分の心に少しだけ余裕ができたような気もする。
アメリカに留学、児童心理学を学ぶ
風光明媚で温暖な熊本県天草地方の出身。江戸時代初期のキリシタン、天草四郎時貞の母方の故郷でもあるこの地で生まれ、高校卒業までを県内で過ごした。
大阪にある専門学校の児童福祉科に進学。さらに学びたくなってアメリカ・カリフォルニア州のコミュニティ・カレッジに単身留学、児童心理学を履修した。自閉症に関心があった。
英語の語学学校も含め、アメリカ滞在は2年半。帰国後は北九州市の幼稚園で念願の幼稚園教諭の職に就いた。
とはいえ、初めての社会人経験。慣れるまで時間を要したが、3年が経過するころ回りが見えるようになった。その後、英語教育で定評がある同市内の幼児園に転職。ここでも約3年勤務した。
「海外で仕事をするなら今がチャンス」
かねてからアメリカで学んだ英語を活かしたいと思っていた。「海外で仕事をするなら今がチャンス」。そんな思いから海外を対象に就職活動を始めたのが2年前。
当初、英語圏を中心に幼稚園教諭の仕事を探したが、なかなか求人にめぐり合うことができなかった。シンガポールまで選択肢を広げた時、試しに検索した東南アジアの中心地タイで募集枠を見つけることができた。
メールで問い合せたところ、すぐに返事が。それからはトントン拍子。Skypeの最終面接では、「お待ちしていますよ!」。「必要としてくれるのなら…」。一度も訪れたことのなかったタイ行きを決断したのは、そんな温かい一言だった。
「もう少し続けてみよう」
そうは言っても、不慣れな東南アジア生活。最初は街の喧騒や空気に戸惑いを感じ、「私、どうしてここにいるんだろう?」と思ったこともあった。今も少しはそんな思いがないと言ったら嘘になるが、ずいぶんと楽になった。
一昨年の大洪水の時は、心配した故郷の母親から「帰ってきなさい」と何度も連絡があった。どうしようかとも思ったが、結局そのまま残った。頑張ったからこそ今があるとも思っている。
しばらく止めていたゴルフを最近、再開した。澄み渡った青空の下でクラブを思いっきり振り切ると、汗と一緒に悩みや疲れがスっと消えていくのを感じる。ちょうど良い気分転換になっている。
当面は「この青空の下でもう少し続けてみよう」と思っている。ただ、子供に関わる仕事だけにはこれからもずっと関わっていきたい。しばらくは、「自分探し」の毎日だ。
タイで在留届を提出済の日本人は最新の2012年統計で約5万人。企業などの駐在員や永住者、その家族などが多くを占め、滞在する男性の多くが仕事を持って暮らしている。女性についてはビザの関係から就労が難しいと一般的に理解されているが、実は「働く」女性は決して少なくない。新企画「タイで働く女性たち」では、タイで仕事やボランティア活動などに就き、活躍する女性たちを追う。