「あんなに一つのことに打ち込んだのは初めて」
タイで暮らすようになって間もなく1年。日常生活や社内での会話はほぼ問題なく、難解なタイ文字もどうにか読み解けるようになった。現在も就業後や休日を活用して、語学の勉強を続けている。
2012年4月から5ヶ月間、バンコクの学校で学ぶまで、タイ語との接点は一度もなかった。月曜日から金曜日まで毎日4時間、みっちり勉強を重ねた。「あんなに一つのことに打ち込んだのは初めて」
その時の感動が妙に忘れられなくて、将来はタイ語の通訳・翻訳を仕事にしたいと思っている。「今はその準備期間、修行の身。異国の地で逞しく暮らしていけるよう、今は何でも取り込んでいきたい」
日系企業約30社の秘書役
現在の仕事、レンタルオフィスの事務職は、人材紹介会社に登録に行った際に紹介された。それまで日本で経験したのは、横浜にある卸売会社の経理職のみ。「いろいろな人に出会えるかも!」と即断した。
一言で言えば、入居する日系企業約30社の秘書役。言われたら何でもするのが自分の仕事。DHLの送り状の手配から郵便物の投函。鍵の複製や飛行機の予約はもちろん、体調が優れないと言われれば近くの日系薬局まで走り、出前も代わって注文する。
「レンタルオフィスに入居する企業様はタイが初めての方ばかり。安心して仕事に打ち込んでもらうために、できる限りのことをするのが私の仕事。大変だけど、いろいろな経験が詰めて楽しい」。ポジティブシンキングと笑顔が魅力的。
サッカー漬けの毎日だった日本時代
日本にいるときは社会人クラブサッカーの代表兼マネージャー。通算10年勤めた。「代表」の肩書きはあったけど、練習場の確保から練習試合の打診、会議への出席まで、ほとんどがマネージャーとしての仕事だった。
週に4日、ほぼサッカー漬けの毎日。頭の中には、いつもサッカーがあった。でも、好きだったから続けることができた。雑用役を苦と思ったこともなかった。
それだけに関東大会で優勝して、JFL傘下の関東リーグに昇格した時は、嬉しかった。素直な思いを、毎日更新していたブログに綴った。
自分で言うのも変だけど、ブログは結構、評判が良かった。ページビューは1日2000ぐらい。サッカーに打ち込んでいる選手たちを応援したい、そんな純な気持ちから始めたサイトだったが、いつの間にか公式ブログのようになっていた。そのブログも現在は閉鎖、今は残っていない。
ここで可能性を広げてみたい!
間もなく1年となるが、タイに来て良かったと思っている。屋台を見てもバスに乗っても、道行く人たちが日本より元気な気がする。地面を見ている人なんて誰もいない。
細かいことを気にしない〝タイ人気質〟が自分に合っているような感じがする。目が合えば、「どこ行くんだ?」「ご飯は食べたか?」。声をかけてくる近所のおばさんともすっかり顔見知り。日本ではあり得ない人との交わりがここにはある。
通訳・翻訳を将来の仕事にしたいと思ったのも、ここで生きて行きたいと思ったから。ここで可能性を広げたいと思ったから。この暖かい南国の大地で、自分をどこまで伸ばすことができるかチャレンジしてみたい。たまに足を運ぶタイ・サッカーリーグの観客席でそんなことを考えたりしている。
タイで在留届を提出済の日本人は最新の2012年統計で約5万人。企業などの駐在員や永住者、その家族などが多くを占め、滞在する男性の多くが仕事を持って暮らしている。女性についてはビザの関係から就労が難しいと一般的に理解されているが、実は「働く」女性は決して少なくない。新企画「タイで働く女性たち」では、タイで仕事やボランティア活動などに就き、活躍する女性たちを追う。