巡り合って再びタイへ。
父親の仕事の関係で小学3年生~5年生までをチェンマイで過ごした。現在はロングステイ人気で知られるタイ北部チェンマイも、当時は裸の子供が素足で路地を歩き回る地方の田舎の街に過ぎなかった。日本人と知れれば「昴(すばる)を歌って!」とリクエストされ、朝食にパンを求めても美味しいと思うものに巡り合うことはほとんどなかった。
その代わり、空気は綺麗だった。自然も今よりずっと美しかった。何よりも人々が素朴で純粋だった。あの頃の体験が、タイと触れ合う原点だった気がする。
時は巡り、航空会社で客室乗務員(CA)として勤務していた時、機上で一人のタイ人パイロットの男性に出会った。交際を経て結婚。夫の住むタイに移り住んだ。
遠い彼方にあった幼い頃のタイでの記憶が蘇った。巡り合って、再びタイへ。間もなく子供も授かった。運命的な「縁」を感じずにはいられなかった。
「何かの役に立てるかも」
ただ、タイとはいえ、首都バンコクの喧騒には直ぐには馴染めなかった。友達さえ一人もいない。ヨーロッパ路線勤務ともなると、夫は3日も4日も帰って来なかった。
だから、「自分で頑張るしかない」と思った。習い事を始めたり、友達の友達を訪ねたり…。自分でハンドルを握って初めてのところにもどんどん向かった。
1年が経ち、ようやく周囲が見えてきたころ、英語で困っている日本人、日本語を学びたいタイ人が意外に多いことを知った。「何かの役に立てるかも」。そんなちょっとした気持ちだったが、伝えることの素晴らしさ、教えることの楽しさに引き込まれていった。
「日本とタイの架け橋になれるのなら…」
ほどなくタイ語も理解するようになると、言葉の壁や習慣の違いから、タイに進出したいのに二の足を踏む日本企業が多いことも知るようになった。自然と相談に乗る機会も増えた。
「ならば、それを仕事にしてみよう。私が日本とタイの架け橋になれるのなら…」。人材派遣会社に登録し、クチコミでクライアントを増やしていった。アテンドの仕事だった。
タイ語に英語。タイ人ばかりが住む街角の路地裏までも知っている私。「私の知っているタイを皆さんに丸ごとお知らせしたい!」。そう思ってやまない。
「少しでもタイに献身したい!」
夫の母国とはいえ、日本人である自分がこの国で“住まわせてもらっている”ことは間違いない。「そうならば、少しでもタイに献身したい。タイ社会の役に立つのが私の使命…」
客室乗務員だったころ、日本の離島や地方都市をよく回った。国際線に乗務するようになってからも、アラブ各国など日本人客が比較的少ない路線での勤務が多かった。ふだん、あまり人が立ち寄らないような、そんな体験や出会いが好き。
隣国ラオスやカンボジア、ミャンマー、ベトナムを訪ねてみるのが今の密かな夢。「こんなに近いのにまだ行ったことがないんですよ。旅行記をブログにして載せてみたいですね」。そう言ってはにかんで見せる仕草が印象的だった。ブログURLは次のとおり。ameblo.jp/thaibkkcnx
タイで在留届を提出済の日本人は最新の2012年統計で約5万人。企業などの駐在員や永住者、その家族などが多くを占め、滞在する男性の多くが仕事を持って暮らしている。女性についてはビザの関係から就労が難しいと一般的に理解されているが、実は「働く」女性は決して少なくない。新企画「タイで働く女性たち」では、タイで仕事やボランティア活動などに就き、活躍する女性たちを追う。