「だめだめ、そんな質問じゃ、会話が続かないでしょう?」
バンコクから東に60キロの丘陵地にあるチョンブリ県「アマタナコン工業団地」。一昨年の大洪水でタイ中部の工業団地が軒並み被害を受ける中、高台に位置することで一躍注目を集めたのがこの場所。その団地内にあるカセサート大学附属学校(小学生~高校生)で、日本語を教える日本人教師が広島県福山市出身の森井薫さん。
例年2月のこの時期は、後期の学期末。「だめだめ、そんな質問じゃ、会話が続かないでしょう?」。森井先生の厳しい声が教室にこだまする。日本語授業を受けているのは、卒業を間近に控えたいずれも高校3年生の女性4人と男性3人の生徒たち。中には日本語専攻の大学へ進学を希望する人もいて、日本語の単位は欠かせない。
日本語学習は英語に続く第2外国語でもあり、単位認定はそう厳しくはない。だが、かと言って甘やかしたところで本人のためにはならないことは分かっている。日本語が話せることで将来の就職にもプラスに働く。粘り強く、辛抱強く教えるのが森井流だ。
「教師といっても、こういう働き方もあるんだ」
日本では広島県立高校の体育科教師。もともと身体を動かすことが大好きだった。計2校、通算12年経ったところで転職を決意した。「外の世界に出てみたい」という思いが強くあった。
選んだ行き先は北米カナダ西海岸、バンクーバーから内陸に入った人口12万人ほどの田舎町ケロウナの学校。日本語を教えるボランティアとしての赴任だった。夏は最高気温40度、冬は氷点下という湿潤大陸性気候の土地。ここで1年間、日本語を教えるとともに自身の英語力も磨いた。
「教師といっても、こういう働き方もあるんだ」と知った森井さん。海外での日本語教師の魅力に惹かれ、「これからこれを自分の仕事にしよう」と決意した。
カナダに次いで選んだのが東南アジアの中心地タイだった。親日的で、日本語を学ぶ若者が多いという事情が背中を押した。南国の大地を踏んだのは2003年5月。来月には雨期が始まろうとしていた。
「にわか先生」から教わったタイ語
赴任したのはバンコク都内の大学。観光学科に通う学生たちに日本語を教えるのが仕事だった。ところが、中には英語が苦手な学生も。タイ語を未修のまま着任した森井さん。意思疎通もままならず、「これは大変だ!」とタイ語会話の必要性を痛感した。
だが、働きながら語学学校に通う時間もない。そこで日本語を解するタイ人の同僚に頼み込み、日々、職員室でタイ語の“レッスン”。時には成績優秀な学生にも「にわか先生」になってもらい、タイ語会話の習得に励んだ。
その後、バンコクの別の語学学校に転籍。タイ人学生に日本語を教える傍ら、日本からタイを訪れる日本人留学生のコーディネートの仕事も経験した。幅広い体験が今につながっていると思っている。
自他ともに認める感激屋さん
アマタナコン工業団地内にある大学附属学校に着任したのは2009年5月。タイに来てすでに6年が経過していた。だが、これまで教えてきたのは専ら大学生や社会人ばかり。「高校生や中学生、小学生にも接してみたい」という思いが強くあった。
大学生でも「素直で、可愛くて、反面、幼い…」と思っていたところに、小学生から高校生ばかりの学校へ。若干の予想はあったものの、勉強するという環境作りから整えて行かねばならなかった。「保母にでもなったつもりでいないと、もちませんでした…」。今だからこそ笑って話せる。
自他ともに認める感激屋さん。日本の高校で教えていたころは、卒業式で大粒の涙を堪えることができなかった。生徒の家庭や将来のことを考えただけで、一人、涙ぐんでしまう。
間もなく赴任後、4回目となる卒業式を迎える。今年の高校3年生には事のほか思い入れも強い。「きっと、泣いてしまうんだろうな」。残り少なくなった生徒たちとのスキンシップを楽しんでいる。
タイで在留届を提出済の日本人は最新の2012年統計で約5万人。企業などの駐在員や永住者、その家族などが多くを占め、滞在する男性の多くが仕事を持って暮らしている。女性についてはビザの関係から就労が難しいと一般的に理解されているが、実は「働く」女性は決して少なくない。新企画「タイで働く女性たち」では、タイで仕事やボランティア活動などに就き、活躍する女性たちを追う。