逐語訳だけでは通訳は務まらない!
文化も歴史も異なる日本語とタイ語の通訳は難しい。先日も、ある会議にコーディネーター役として立ち会ったところ、先方の通訳が普通なら訳さないほうがいい日本人の言葉を逐語訳してしまい、相手方の会社の女性が泣き出してしまうというハプニングがあった。
日本人なら誰もが気にも止めない、相手にもしない言葉だった。冗談で放った「そんなん、騙されとるんとちゃうのか?」という、たった一言。これをそのままタイ語に翻訳しまったことで女性は泣き出した。受け止める側のショックは相当なものだった。
「聞いていて思わず、アチャー!という感じでした。相手方の通訳は一生懸命に翻訳していましたので責めることはできませんが、その人が何のためにそのようなことを口にしたのか、もう少し日本の文化と、その人の性格やキャラを知って、実際にその人が伝えたい内容を訳していれば防げたトラブルでした」
だから、通訳・コーディネートの仕事は「マッサージと似ている!」とも。「二つの言語をほどよく揉んで、ちょうどよい具合に仕上げる。それが私たちが求められている仕事です」
日本で生まれ育ち、タイへ
日本人の父とタイ人の母を持つ鈴木さんは東京・立川の生まれ。小学生時代を日本で過ごした。父は自営の建築家。日本市場が縮小していくのを機に、母の故郷であるタイに一家で移り住むことになった。インターネット上でパース(透視図法によって描かれた図)のチェックができるようになるなど環境の変化も大きかった。
以来、中学、高校、大学とタイの学校で学んだ。今では、日本語、タイ語とも自由に操ることができる。二つの母語の底辺に流れる微妙なニュアンスの違いも問題ない。大学では文学部に所属し、英語も勉強した。
学生時代からアルバイトで経験を積んだ。最初は雑誌や映画の翻訳など。次第に本格的な通訳やコーディネートの現場に立つようになると、仕事のおもしろさにも気づくようになった。アルバイト先は「SCG HEIM(ハイム)」という積水化学住宅カンパニーとSCG建材会社の合弁会社。鉄骨住宅を工場で生産し、販売する不動産会社だった。卒業後、そのまま就職した。
「家を売るという仕事は夢を叶える仕事」
初め、アルバイトと正社員の違いに少し戸惑った。アルバイトは通訳が終わったら、そのまま「さようなら」。でも、正社員となると、そうは行かなかった。報告書を書き、次の仕事の段取りをしなくてはいけない。仕事の優先順位を立て、効率よく処理をしていかなければならない。
「でも、今ではもう慣れました」。3年目を迎えた今年初めごろからは、通訳とコーディネートの仕事に加え、マーケティング(市場調査)の仕事も任されるようになった。責任ある仕事を回してもらえるようになったことに自信もついてきた。自然と笑みがこぼれる。
「家を売るという仕事は夢を叶える仕事」と思っている。顧客のニーズに応え、どれだけ「幸せ」を提案していくことができるか、今、自分が試されているのだと思う。それだけに、やりがいを感じてならない。
私の夢…
夢はいろいろある。まず、アメリカに留学してみたい。大学では英語を勉強したものの、実際に訪ねたことはない。テレビなどで見たことしかない。英語文化圏とはどういうところなのか、とても興味がある。
何しろ、日本人とタイ人がいる自分の家庭の中でさえ、これだけ歴史と文化が違うのだから。とにかく、違った空気を体感してみたい。そこから得られるもの、視えて来るものを身体の中に取り込んでみたい。同世代の若者たちが何を考えているかも知りたい。
もう一つ。育ったタイで、日本語やタイ語の文化や歴史を教える学校を創ってみたい。映画や漫画を素材に「どうして、この場面ではこういう表現になるのか」。そのバックグラウンドに当たるものを、次の子ども達に教えたい。
両方の国を知る、それが私の役割だと思っている。日本で生まれ育ち、タイで成長した私の、それが夢――。
タイで生活する日本人は最新の2012年統計で約5万人。企業などの駐在員や永住者、その家族などが多くを占め、滞在する男性の多くが仕事を持って暮らしている。女性についてはビザの関係から就労が難しいと一般的に理解されているが、実は、働く女性は決して少なくない。新企画「タイで働く女性たち」では、タイで仕事に就き、活躍する女性たちを追う。