タイの鼓動、タイ人の暖かさを感じる
バンコクに本社を置く日系企業向け人材紹介会社「PRTR Japanese」でマネージャーを務める保戸塚紗依さんは、約10人いるタイ人スタッフのまとめ役。多忙な時間を過ごしながらも、いつも笑顔を忘れない。
バンコクを訪れたのは2年前の8月。当初は、パートナーの転勤に伴っての転居だった。ところが、「家でじっとしているのは向かない」という保戸塚さん。知人の紹介で昨年10月から今の会社で働いている。
成長続くタイで、この国の鼓動を肌で感じる。「まだまだ可能性がある」と強く思う。当然、仕事も忙しくなりそう。マネジメントの仕事に注力するためにはともに働いてくれる仲間が同士が必要で、ボスと話し合って新たに日本人スタッフを募集することに決めた。
タイに来て間もなくのこと。気分が悪くなり、車外でうずくまっていたことがあった。通りがかりの見ず知らずのタイ人が次々と声を掛けてくる。「あそこで休めるわよ」「何か買ってきましょうか?」。心が熱くなった。タイ人の暖かさに、懐かしい日本を思い出した。
何も言わなかった母
タイに渡る前は、オーストラリアのメルボルンにいた。どこまでも続く、透き通るような青い空。「こんな景色が地球上にあるんだ」。ものの見方、考え方が変わり、視野が広がった。
滞在したのは1年半あまり。ワーキングホリデーの制度を使って、働きながら英語を学ぶのが目的だった。最初の現場は農家での箱詰め作業。真っ赤に熟れたトマトをパッキングしていく仕事だったが、これが実に楽しかった。
オーストラリアへ行くと告げたとき、実家の母はじっと聞いているだけだった。心配でたまらなかったのだろう。きっと反対だったんだろう。今では「元気でやってるならそれでいいのよ。」と言うが、その言葉を聞くたびに当時のことを思い出す。
クラシックバレエ、そして人との出会い…
東京・下町の生まれ。5歳からクラシックバレエを習った。高校卒業後は専門の養成学校へ。踊りの練習だけでなく、歴史、文化なども勉強した。看護学校にあるような解剖学の授業もあった。関節の曲がり方を学ぶことがバレエの技術向上につながった。
だが、バレエでお金が稼げる人はほんの一握り。21歳のとき、外食企業に就職し、新しい道を歩むことに決めた。勤務先では居酒屋の新規出店担当。新人スタッフの教育が主な仕事だった。顧客の満足度を高めるためにはどうしたらいいのか、仲間と夜遅くまで話し合った。
かつては「飲食店なんて一生、働くことはない」と思っていた。ところが、お客さんとの出会い、スタッフとの出会いを重ねていくうちに、虜となっている自分に気付いた。いつしか「人と関わっていく仕事がしたい」と思うようになった。原点がここにあった。
人と企業の橋渡しが「私の使命」
人材紹介会社で働く今、「この仕事をしていて良かったなあ」とつくづく思うのは、紹介先の企業からお礼の声が届いたとき。「素晴らしい方をご紹介いただきましてありがとうございます。ご本人も頑張って働いておられます」
先だっても「今までのキャリアの集大成として仕事を探している」というタイ人男性からの相談を受けた。経験も豊か、日本語も堪能な逸材。「日本とタイの架け橋になりたい」という熱い心に頭が下がる思いだった。
幾度の面接を経て、現在はGMとして日系企業で働いている。「おかげさまで、素晴らしい仕事に出会えました。感謝しています」。そう言われたときは、自分のことのように嬉しかった。
タイ生活も2年あまり。雨期に青空が少ないことがちょっぴり残念だが、すっかり慣れた。近いうちにクラシックバレエのレッスンも再開したいと思っている。当面は今の仕事を続けていくつもり。会社とともに成長のできる優秀な人材を紹介していくことが、今の自分の使命と感じている。
タイで生活する日本人は最新の2012年統計で約5万人。企業などの駐在員や永住者、その家族などが多くを占め、滞在する男性の多くが仕事を持って暮らしている。女性についてはビザの関係から就労が難しいと一般的に理解されているが、実は、働く女性は決して少なくない。新企画「タイで働く女性たち」では、タイで仕事に就き、活躍する女性たちを追う。