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タイ人高校生とfacebookで交流を続ける日本語教師、大村悦子さん

「教え子」たちと10数年ぶりの再会!

タイ東北部、カンボジア国境の街スリン県スリン市にある公立シリントン学校(中高一貫)で日本語を教える大村悦子さんは、最近、相次いでかつての「教え子」との再会を果たした。

一人は同じシリントン学校に赴任してきた同僚教師、もう一人は東隣シーサケット県のやはり公立学校教師。大村さんが1998年から2年間勤務したスリンドラ・ラチャパット大学(スリン県)のともに元女子学生。現在は二人とも教壇に立って高校生に英語を教えている。

「悦子先生!覚えていますか?10年以上前に先生に日本語を教えてもらいました。あの時は、どうもありがとうございました」。そう声をかけられたという大村さん。その純粋で無垢な「教え子」たちの言葉に思わず胸が熱くなった。自分と同じ教師の道を歩んでくれた二人。「私は種を蒔いただけ。それを植えて育てたのは彼女たち」と、はにかみながらも笑顔で話す。

大学卒業後、日本語教師として来タイ

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岐阜県恵那市の出身。両親が小学校の教師だったこともあって、中学か高校の国語の教師になるのが夢だったという大村さん。大学時代、日本語教師を派遣する大学教授のネットワーク活動に参加。未知のタイに単身渡った。たどり着いた大学の構内にも田舎の街にも日本人の姿は一人もなく、タイ人の同僚とはともに母語とは呼べない英語で意思疎通を図るしかなかった。

2年間の勤務は瞬く間に過ぎた。可能性を広げたいと、日本語教育能力検定試験を受験するために、いったん帰国。合格率15~16%という難関を突破して再びスリンドラ・ラチャパット大学へ赴任することになったのは、さらにその1年後。今度は派遣の身分ではなく個人としての契約。実績を買われてのオファーだった。

教員生活を続けるうちに今度は、「通常の社会人経験もしてみたくなった」と一念発起。バンコクにある日系の書店に転職した。初めてとなるサラリーマン生活。在庫の管理から発注、日本との取次業務など未経験の仕事は思った以上にハードだった。この間、独学でタイ語の読み書きも覚えた。

書店には結局、8年余り勤務した。「ずっと働き続けて来たのでゆっくりしたくなって」と、退職後、アメリカや香港などを旅行。今後のことを考えた。その後、一時、別の会社にも勤めたが、昨年6月、知人から寄せられた求人情報に応募、スリン県の公立シリントン学校で再び教鞭を執っている。

facebookを使ってメッセージを交換

現在教えているのは、高校1年生から3年生までの総勢約140人。もともと女子校だったというシリントン学校。7割は女生徒だといい、1週間に計19コマの日本語授業を受け持っている。

素直、無邪気というのが生徒たちに対する第一印象だった。物怖じせず、純粋に日本語を勉強したいと目を輝かせる生徒たち。その教え子たちとの間で最近、流行となっているのがfacebookを使った交流だ。

タイ語の読み書きが堪能な大村さんだが、生徒たちから届くタイ語のメッセージにはあえて日本語で返信。できるだけ問いかけになるよう、文面も工夫している。先生の返信に今度は生徒たちが日本語でメッセージ。アニメやコスプレなど内容はたわいもないが、その真面目な姿勢には確かな力強さを感じてやまない。

優しくてモチベーションの高い生徒たち

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生徒たちには夢を持ってもらいたいと、語りかけも忘れないようにしている。「どうして日本語を勉強しようと思ったの?」「貴女の目標は?」。だが、答えだけは急がないようにしている。

「自分の育った村で子どもたちに日本語を教えてあげたいから…」、「日本の小説を翻訳してタイの人たちに読んでもらいたいから…」。返ってくる答えには、ただただ驚かされるばかり。

「優しくて高いモチベーションを持った子供たち。教えたら教えただけ伸びていくのが良く分かります。教師としても、とてもやりがいを感じています」

タイで生活する日本人は最新の2012年統計で約5万人。企業などの駐在員や永住者、その家族などが多くを占め、滞在する男性の多くが仕事を持って暮らしている。女性についてはビザの関係から就労が難しいと一般的に理解されているが、実は、働く女性は決して少なくない。新企画「タイで働く女性たち」では、タイで仕事に就き、活躍する女性たちを追う。

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