タイ在住の日本人にも注目されていた石野卓球初のバンコクライブを終え、翌日、緊急インタビュー。約一時間に渡って「昔と今と未来の音楽の話」を語りました。
石野卓球インタビュー in THAILAND

でも、やっぱり日本人以外のお客さん達も、かなりはじけてる感じがした。よく言えば「パーティーピープル」、「悪く言えばノーテンキ的な」…でも、それは悪い意味ではなくて、音楽を楽しむ上でいいことだと思うしね。
印象に残ったといえば、終わった後にお客さんが押し寄せてきて、一緒に写真をとりたいとブース付近がちょっとごった返したので、撮影後に裏の出口から出たんだけど、その時にタイ人のスタッフから「すごい人気だね!、大変だね!、そんなにハンサムじゃないないのにね!」と、つらっと言われた時はこっちも笑ってしまった。「自分でそんなことわかってるよ!というか、んなこと言われても、って感じだった!」いやぁ本当にタイの人は感覚までもがはじけてるなって(笑)




確かに密室的でミニマルな音楽となると話は別だけど、昨夜のように生々しく音楽とダンスを楽しむパーティーピープルが存在している以上は普通にいけると思うな。でも、確かに南国出身のテクノアーティスト自体は少ないような気がするね。


んーなんというか「チャート自体がゲームのチャートみたいな、以前あった音楽マーケット自体が全く別のマーケットになった感じ」
もう一つ変わった点としては制作費。というのもあの時代はとにかく音楽制作の業界もバブルな感じで金銭感覚が麻痺していて、例えば「一日30万円のスタジオに入ってひたすら曲の詩を書いている」とか「お金は空から降ってくるみたいな感覚があって」…。ほんとにあの時代は僕らに限らずみんな狂っていたんだと思うな。
でも、最近ではコンピューターの普及によって自宅でも制作できるようになって大分コストも下がってきてるので、ある意味、時代にそって本来のカタチにも戻ったんだなという感じがしている。
この話に関してアーティストとしての考え方も、それぞれいろいろな想いがあると思うけど、僕はその環境が大きく変わる時代の境界を経験できた事がよかったなって思ってる。


韓国という話をしても「一体だれが聴いているの?」と言う感じでお金を払って聴くというより、どちらかと言うと流れてきているから聴いているという感じじゃないかな。一昔のポンチャックディスコの方が泥臭く個性があって面白いかったのに、なんかよかった灰汁(アク)が削ぎ落とされちゃったような気がしてね。




音楽制作問わず、あらゆる分野で情報からの可能性がありすぎて最終的に「何をしたらいいのか」って困惑して進んでいない人もきっといると思う。
僕もバンドから始まって、当時は音楽制作する上でもかなり制限があって、その限られた中でいかに面白いものを作るかという話の中で先進感が生まれ、「悔しさ紛れ」や「ヤケクソ的」な意識からその先にあるものがカタチになっていた気がして、だから今で考えると「そこまでやれるかな」っていう感じだね。
制作工程に関しても僕が邦楽をリリースしていた1995年当時の制作は、DAT(デジタルオーディオテープ)に録っていたから、録音する時はみんな一発勝負だった。毎回スタッフもモノスゴイ集中力と緊張感を持って作っていたと思うんだよね。でも、コンピューター制作することが当たり前になってからは、いつでも直ぐに簡単になおせるようになった。つまり、それって、いつまで経っても完成しないという状態が続くということにもなって、怖いなと感じる時があったんだよね。
コンピューター制作が普通になった2000年の前半の頃はそういう状態にハマって、なかなか曲が仕上がらないということも経験した。スランプということではなくて、1曲を作る間に20曲位のアイデアが入ってきて、最終的に出来上がった頃には、作り始めた時の最初のアイデアが全く別のものになっていたり。
制作する上でそれまでとは違った経験をしていたこともあった。やっぱり何事もある程度制限があったほうが、真新しく面白いモノが生まれるじゃないかな。
それは音楽制作ではなくDJとしてのパーティーでもまったく同じことで、毎回どのレコードを持って行くかというより、どのレコードを持って行かないということが寧ろ重要な感じになっていて、限られた音楽数の中でDJをすることによって、これまで発見できなかった新たな音のマッチングとかも見つけられたり、することもあるからいいことでもある。「旅の荷物で迷ったものは置いていけ」という感じあるでしょ(笑)。究極いうとそいう感じ。
やっぱり最近モノづくりしている人は特に削ることが一番大変というか、手間かかったりする時代で生きてるんだだなって思う。


あとはDJやっているときにお客さんがいっぱい溜まっている時とか、スタジオで曲を作っていて思い通りの良い感じに仕上がった時とか本当に沢山あるね。それと広告関係の依頼を受けた時。
CMなどの仕事をすることっていうのは、「ブルペンで肩を暖っためるという感じで面白い」。曲と違って短い時間の中でインパクトを付けないといけないから、普段とは違う制作工程が必要。次のアルバム制作時に新たな変化球をつける様な重要な存在でもあったりして。時々あるボーナスみたいな事も起きるので、音楽の仕事は沢山楽しい瞬間があると思うね。




まだ日本人は、パスポートを作れば一週間後にですぐに海外にでれる信用されている恵まれた人種の一人なんだから、兎に角、海外を気になった時点で直ぐに準備してもいいんじゃないかとも思うよ。





石野卓球(DJ・音楽プロデューサー)
1989年にピエール瀧らと “電気グルーヴ” を結成。1995年には初のソロアルバム『DOVE LOVES DUB』をリリース、この頃から本格的に DJ としての活動もスタートする。1997年からはヨーロッパを中心とした海外での活動も積極的に行い始め、1998年にはベルリンで行われる世界最大のテクノ・フェスティバル “Love Parade” の Final Gathering で150万人の前でプレイするという偉業を成し遂げる。1999年からは1万人以上を集める日本最大の大型屋内レイヴ “WIRE” を主催し、精力的に海外の DJ/アーティストを日本に紹介している。YMOに次ぐ日本のテクノ音楽界を代表するミュージシャン石野卓球オフィシャルウェブサイト
www.takkyuishino.com/