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バックパッカーの旅が人生の転機

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23歳の時に米ミネソタ州の大学に留学。国際関係論や発展途上国の歴史などを勉強した。漠然とではあったが、将来は国連や国際協力機関などで働きたいと考えていた。

留学末期のバックパッカーの体験が人生の大きな転機となった。タイ、ミャンマー、カンボジア、最後に沖縄の離島にも渡った。流浪の旅は結局、1年あまりにも及び、沖縄から東南アジアに至るアジアの魅力にどっぷりと浸かった。

大学卒業後は、ひとまずシンガポールのアメリカ企業に就職。3年間ほど勤務した。その後、再びカンボジアに渡り、伝統文化復活を目指すボランティア活動に従事した。

クメール織物復興のボランティアに参加

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カンボジアの内戦は人命だけでなく、伝統文化の芽をも積んだ。クメール王朝時代から続く絹織物「クメール織物」は職人たちの多くが命を奪われ、壊滅的な状態にあった。わずかに生き残った後継者たちもすでに高齢となり、このままでは伝統技術が途絶えることは確実だった。

アンコールワットで知られるカンボジア・シェムリアップ。 ここに京都・友禅染の日本人職人が開設したボランティア団体「クメール伝統織物研究所」があった。そこで、1年あまりを過ごした。クメール語も自然とマスターした。

研究所では伝統文化を受け継ごうと、意欲を持った若者たちが目を輝かせて技術習得に励んでいた。技術は受け継がれて始めて文化となる。技術のリレーを途絶えさせないためには、市場で売れる良いものを作らなくてはならない。研究所スタッフが最も注力したポイントだった。

日系部品メーカーの品質管理部長に

その後、隣国タイに渡り、今度はタイ語の習得に挑んだ。「クメール語よりも簡単そうだ」というのが表向きの理由だったが、心の奥底にはかつてのバックパッカーで得たタイのイメージがあった。「過ごしやすそうだ」

ただ、収入を得て、現実として生活をしていかなければならない。すでにシンガポール時代に蓄えた貯金は底を尽きかけていた。このためタイ語の習得を機に、電子部品の日系メーカーに再就職。コラート(ナコーンラーチャシーマー県)にある工場に勤務することになった。30歳になっていた。

工場では品質管理部長の肩書きをもらった。年中無休、24時間稼働し、何千人ものタイ人従業員が働く工場は活気に満ち溢れていた。工場での勤務は初めてだったが、次第に「日本のモノづくり」が面白くなっていった。コラートの工場勤務の後、アユタヤ工場に異動し、通算、4年間、勤務した。100人以上のタイ人部下を持ち、現場でタイ人と一緒になって問題解決、改善活動をした経験が今の飲食店経営を支えている。

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