波乱万丈。その四字熟語がこれほど似合う男も珍しい。佐藤貴哉(さとう・たかや)。バンコクでお好み焼き店ほか飲食店を複数経営する31歳。26歳の時に単身海を渡った。南国タイで成功を夢見ながら数々の挫折を繰り返し、ついに「相棒」を見つけた若き男の半生を描く。(敬称略)
基地の街で育った少年
北海道の東部、牡蠣で有名な厚岸町で生まれた。育ったのは北海道の玄関口・新千歳空港に近い恵庭市。あまり知られていないが、恵庭は総面積9600haにも及ぶ陸上自衛隊北海道大演習場を抱える基地の街でもある。
子供のころから基地に慣れ親しんだ少年は、高校卒業と同時に陸上自衛隊に入隊。南恵庭駐屯地で勤務に就いた。1999年、18歳の時だった。
訓練が特段、きついとは思わなかった。ただ、何のためにそれをしているのかは、よく分からなかった。2年3ヶ月が経った時、除隊を決めた。階級は陸士長に上がっていた。
憧れだった屋久島へ
自衛隊を除隊した翌日から日本一周の旅に出た。高校時代からの憧れだった「南の海」を肌で感じてみたかった。鹿児島市の沖合に浮かぶ屋久島が最初の渡航先だった。
「小さな島なのに滝がたくさんある」というのが第一印象だった。地元の人から「この水、飲めるんだよ」と聞かされ、さらに驚いた。滝壺に飛び込み、泳ぎながら清水を飲んだ。透き通るような優しい水。初めての体験だった。
屋久島では海でも泳いだ。どこまでも水平線が続く碧い海。北海道では見たことのない海の色だった。海で泳ぐという習慣がほとんどない北海道。砂浜で火を炊き、暖をとることも、ここではなかった。
「北海道だけで育った自分は小さな存在だった」
さらに南、沖縄に渡ったのは、それから間もなく。沖縄本島から宮古島に渡り、日本最西端にも近い西表島にも足を伸ばした。
西表島ではホテルマンとして、宮古島ではゲストハウスのスタッフとして住み込みで働いた。朝食の用意からシーツの取り替え、フロント業務などすべてをこなした。初めての経験だったが、見よう見まねで何とかなった。
沖縄で多くの人と知り合った。冬になると深い雪で閉ざされる北海道しか知らなかった自分。何もかもが新鮮で驚きだった。自己の存在がいかに小さなものであるのかを、ここで知った。
試行錯誤。そして、バンコクへ
北海道にいったん帰り、その後の人生を考えた。紹介で市役所に勤めたこともあったが、長くは続かなかった。「野菜のソムリエ」になりたいと、カボチャにはまった時期もあった。
だが、何がしたいかの結論は、簡単には出なかった。「食」への関心が強まり栄養士になろうと思ったこともあったが、どういうわけか通ったのは調理師学校だった。
「バンコクに行ってみないか」と声がかかった時、26歳になっていた。東京・池袋でラーメンチェーン「ばんから」を展開するオーナーからの誘いだった。一も二もなく飛びついた。迷いなどなかった。