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朝日新聞アジア総局長 藤谷健氏 独占インタビュー!

タイに赴任されるまでのご経歴をお聞かせください。

大学卒業後の1987年に朝日新聞社に入社しました。栃木県の宇都宮支局が初任地でいわゆるサツ回りや高校野球などをの取材を経験、3年後に札幌の北海道支社報道部に異動しました。

ここで約2年間、選挙や地方政治などを担当した後に、会社の留学制度を利用して1年余りロンドンに留学、途上国の開発問題で修士号を取りました。そこでタイ語の勉強もしました。帰国後は外報部(現国際報道部)に所属し、97年からイタリア・ローマ支局に赴任しました。

ローマ支局は、当時のユーゴスラビア・ベオグラード支局も兼務していて、ボスニアやコソボの紛争取材にも当たりました。99年にはNATOの空爆が始まり、このころベオグラードには年の3分の2ほど滞在、年間100泊ぐらいはしましたね。アルバニア側にいて、コソボの山の向こうから多くの難民が命からがら逃れてきた様子を取材したことを今でもよく覚えています。

90年代後半から始まったアフリカのザイール(現コンゴ)の内戦にも応援取材で向かったことがあります。国連機に同乗させてもらい周囲は難民ばかりという中、現地に入りましたが、他社に先駆けて一番乗りできた時はやはりうれしかったですね。まもなく、首都キンシャサが陥落するという時期でした。

その後、東京に戻り英字新聞の記者兼デスクを経て、2004年からはインドネシアのジャカルタ支局勤務。大統領選や爆弾テロ事件、スマトラ島沖大地震・インド洋津波などの取材に当たりました。津波の被害が甚大だったバンダアチェには発生翌日に入りましたが、街中に遺体が溢れていて、死臭が充満していました。

イスラム社会では24時間以内に埋葬しないと天国に行けないと信じられているので、遺体の処理に翻弄されていました。こうした状況の中で写真を撮るのには本当に苦労しました。日本の新聞紙面にはなかなか遺体を載せることはできません。結局、車にはさまれた牛を見つけて写真に収めました。

ジャカルタには結局、3年勤務し、いったん東京に戻ってデスクに就いた後、2009年8月からバンコクのアジア総局に勤務して現在に至っています。

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