2010年10月13日、バンコク・ラマ3世通りに面したインテリジェントビル。そのVIP応接室に、タイの消費財王サハグループのブンヤシット会長の隣に腰を掛けるツルハホールディングスの鶴羽樹社長の姿があった。
鶴羽社長の表情はどことなく感慨深げだった。無理もない。かねてから温めてきたサハとの業務提携話。2010年4月にいったんは渡航を決めたものの、ほかならぬ赤シャツグループによるタイの政治混乱で突如延期。行く手を遮られ、予定の変更を余儀なくされたのだった。
待つこと、半年。実現した満を持してのトップ会談。鶴羽社長は、①ツルハの海外出店協力、②プライベート商品(PB)の相互交流、③セミナーの実施など人材の相互交流の3点を持ちかけ、ブンヤシット会長から快諾を得た。ツルハの海外進出が結実した瞬間でもあった。
ツルハとサハグループのスタッフたちこの時、ツルハは日本国内で店舗数900店舗を突破し、目標にしていた1000店までカウントダウンの状況下。だが一方で、将来に向けた不安も少なからず感じていた。
少子化などによる消費人口減が本格的に始まる2010年代後半以降、日本の市場が急速に縮小していくことは、経済界では半ば常識とされていた。国内での成長が見込めない以上、「お客さまとともにある」ツルハが、活躍拠点を海外に求めるのは当然の帰結と言えた。
タイ1号店の完成予想図だが、道のりは決して平坦ではなかった。バンコクに駐在員事務所を開設しようという直前の11年3月、東日本一帯を襲った大震災。岩手、宮城、福島の各県に計300以上の店舗を展開していたツルハも無傷ではなかった。多くの顧客や従業員が被災。しかし、海外事業を推進する気持ちに揺るぎはなかった。
サハグループとの合弁会社設立を決めた同年9月には、今度はタイで未曾有の大洪水が発生。出店エリアの見直しや、スケジュールの調整が何度も何度も行われた。
結局、海外1号店の日本人スタッフがバンコク入りできたのは今年2月になってから。入居する予定の大型商業施設「ゲートウエイ・エカマイ」では、当初予定を大幅に越え、工事が早くも遅れを見せていた。
それから5ヶ月。この短期間で、これほどの完成度を兼ね備えた海外店舗が誕生するとは、誰が予測できただろう。
日本式ドラッグストア、おもてなしの心――。背後に、日本人、タイ人、両スタッフの献身的な努力があったことは言うまでもない。国内1000店舗を達成したばかりのツルハに、また一つ大きな自信が増えた。