9日に大規模なデモが行われて、インラック首相が退陣を表明した。しかし、デモが完全に終わったわけではない。当初は恩赦法がきっかけとなり打倒インラック政権を掲げて始まったデモであったが、反タクシン派は未だにデモを止めようとしない。
赤シャツ派から見るタクシン首相の偉大さ
タクシン元首相2006年のクーデターによる失脚から7年経過しているにもかかわらず、現在のタイの内政に大きく関わっているタクシン首相。2006年といえば、日本では小泉首相が退いた年である。
小泉首相と聞くとずいぶん前のように感じるが、タクシン首相の人気は未だに衰えない。タイの大部分を占める貧困層を救ったタクシン首相は、国民の間ではヒーロー的な存在なのだ。
反タクシン派から見ると、タクシン首相の様々なスキャンダルは許しがたいものなのだろう。汚職や不手際の事実は否定できないし、最終的には脱税や一族でのインサイダー取引疑惑によって失脚してしまった。
タクシン首相が作ったタイ
しかし、タクシンが首相になってからタイ人の生活が大きく変わったのは揺るぎない事実だ。時代の流れだとの声もあるが、タクシン首相がタイを現在の国際的な近代国家に作り変えたと言っても良いのではないだろうか?
タクシン首相以前のタイでは一握りの権力者が富を独占しており、今まで以上に貧富の差が激しかった。彼は大多数の貧困層や農民に対する優遇対策をとることによって、そんな状況を変えようとしたのだ。それが既得権益層の恨みを買うことになり、その集大成と言えるのが今回のデモである。
ひょっとしたら選挙で票を稼ぐための政策だったのかもしれない。もしかしたら私腹を肥やすために行ったのかもしれない。しかし目的が何であろうと、彼のやったことが結果的に東南アジアの貧しい国を大きく変えたのだ。
ちなみに、タイでは4年に1度政権が代わる。しかし1932年の立憲革命以来、4年の任期を満了した首相はタクシン以外に存在しない。斬新な政策を行ってきた彼だが、多くの民衆は彼を支持して彼についていったということだ。そして、それが現在のタイを作り上げた。
タクシン派より過激な反タクシン派?
世間では、赤シャツが凶暴で駄目で良くないほうだと報道されることが多い。実際に、皆さんの赤シャツに対するイメージにも似たようなものがあるのではないだろうか?しかし、果たしてタクシン派はそんなに危ない集団なのだろうか?
2008年のソムチャイ首相(タクシンの義弟)の時には、反タクシン派が空港を占拠した。この大規模なデモは、タイに大きな損害を与え世界中の人に不信感を抱かせたが、こんな事態であってもタクシン派の首相は軍を動かさなかった。
しかし、アピシット政権の時には、赤シャツの乱入によるアセアン会合の中止をはじめとする様々なデモに手を焼き、武力による強制排除を行い大量の死傷者を出すこととなった。流血の土曜、暗黒の土曜と呼ばれる2010年4月10日には、日本人カメラマンの村本氏も亡くなっている。
今年も先月末からデモが続いているが、インラック政権は平和的な解決を求め武力を行使しようとはしていない。アピシット政権の失敗の影響もあるのだろうが、今のところタクシン派から攻撃を仕掛けるということはなさそうだ。
インラック首相の想いと止まらないデモ
大がかりなデモの結果、反タクシン派はインラック政権の解散を達成した。しかし、現在はさらにインラック首相やその家族の国外退去を要請している。その新たな目標を掲げ、22日に再び大きなデモを行うと発表している。
タクシン氏もインラック氏もタイ人である。富裕層の恨みを買うようなことをしたのかもしれないが、二度とタイに戻ってこられないようにするというのはいかがなものか?
タクシン氏は今年で64歳の高齢であり、ひょっとしたら余生を故郷のチェンマイで静かに暮らしたいと思っているかもしれない。少し赤よりな視点から見る外国人の単なる同情にしかすぎないのだが、反タクシン派はもう少し歩み寄ってみても良いのではないかと思う。