サッカーのタイリーグで多くの日本人選手がプレーしていることは日本でも知られるようになってきたが、タイのフットサル界にも“サムライ”がいる。今季、フットサル・タイリーグで戦った唯一の日本人、軽部斉広の物語――。
タイのフットサルリーグでプレーしたい!
軽部斉広が初めてタイへやってきたのは、2012年3月11日のこと。その日を選んだのは、いわゆる「3・11」であればチケットも取りやすいだろう、という安易なものだったが、目的は明確だった。
タイのフットサルリーグでプレーしたい――。
日本のフットサルリーグ「Fリーグ」に所属するクラブのサテライトチーム、バルドラール浦安セグンドで2009年までの2シーズンをプレーした軽部。
そのシーズン終了後に「トップに上げる見込みはない」と宣告されると、追い討ちをかけるようにアクシデントが襲った。前十字靭帯断裂、一年間のリハビリが必要な大怪我だった。
タイ行きを後押しした幼い頃の記憶
「怪我をした時に、もうFリーグに挑戦するのは難しいと思いました。その後、千葉県リーグで一年間プレーをしましたが、このまま続けるのもどうなのか、と」
そんな時、軽部の中に浮上したのがタイリーグだった。レベルはアジア内では日本に次ぐ水準。当時は数名の日本人がプレーしており、知人もいた。
加えて、幼い頃、父からいつも聞かされていた「タイ」のイメージが残っていたのも、タイ行きの決断を後押しした。
「父がバンコク出張の多い人で、いつもタイの話を聞かされていたんです。料理はおいしいし、『微笑みの国』と言われるいい国だ、と。もし父がネガティブなことを言っていたら、タイに行こうとはしなかったかもしれませんね」
困難の連続だったタイ挑戦
さまざまな要素が重なり決断したタイ行き。だが、タイでの挑戦は出だしから困難を極めた。開幕時期さえ決まっていないタイリーグでは、まずチームを見つけることが難しかった。
「6月くらいになんとか練習参加ができたんですが、結局リーグ開幕は11月。それまでは何もない時期が続きました。
ドミトリーに泊まりながら、夕方から無料で使えるコンクリートのコートでボールを蹴ったり、あとはタイ語学校に通う毎日でしたね」
そんな苦労の末にようやく掴みとった最初のクラブとの契約。だが、そこも決して華やかな世界ではなかった。
それでもタイで戦う理由
「フットサル界はお金がないので、待遇もサッカーと比べたら天と地。最初のクラブでは一ヶ月給料が支払われただけで、残りの7、8ヶ月は未払いという状況でした」
そんな苦しい状況でもタイに留まり、今季は後期から、バンコクからは遠く離れたコンケーン県にあるクラブと契約。
チームの給料ベースは月給わずか7000バーツ(1バーツ=3円強)、試合給などを含めても1万2000〜3000バーツにしかならない。
住居もチームのアパートにはエアコンがないため、練習場である大学内の体育館の控え室に寝泊りする生活が続いた。
「華やかな世界ではありませんし、現状、ただフットサルをしたいというだけでは勧められません。自分はフットサル選手として区切りをつけたい、という思いと、タイと日本の間で何かをしたい、という思いがあるから続けられているんだと思います」
チームとの契約は来季も更新されることになった。軽部斉広はもう一年、タイフットサル界唯一の“サムライ”として戦う。
Tokihiro Karube
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