日本代表歴のある有名選手も含め、60名以上の日本人がプレーした今季のサッカー・タイリーグ。そんな中、最も輝きを放ったのが下地奨(BECテロ・サーサナ)だった。わずか2年前、銀座のクラブでのアルバイトで食いつないでいた男が掴んだ“タイドリーム”――。
日本人最多17ゴールの大活躍
タイサッカー界の3大タイトルの一つ、トヨタリーグカップを今季初制覇したBECテロ・サーサナ。その優勝が決まったピッチで、下地奨は泣いていた。
「サッカー人生で初めてのタイトルでしたし、自分の中では大きなものでした。いろんな思いがあって、それを抑えきれずに…」
タイリーグ2シーズン目の下地。今季はリーグ得点ランキング5位、日本人選手最多となる17ゴールをマーク。悲願のタイトル獲得にも大いに貢献した。
60名もの日本人選手の中でも最も輝いたと言ってもいい活躍だったが、ここまでの道のりは平坦ではなかった。
Jリーグ、南米…紆余曲折を経てタイへ
大学を卒業後、当時J2だったサガン鳥栖に入団。3シーズンを過ごしたあと、子どもの頃からの憧れだった「ブラジルでのプレー」を求めて南米への移籍を決断した。
パラグアイ、そして憧れのブラジルで過ごした通算2シーズン。だが、夢と現実は違った。就労ビザや登録面などプレー以外での問題も多く、続いた苦しい時間。
それでも2年目は出場機会を得られ、次シーズンの契約の意向も伝えられての一時帰国。だがその後、クラブの会長交代を機に契約は白紙となった。「サッカー人生は終わった」、そう思った。
一ヶ月ほどはサッカーから完全に離れ、銀座でボーイのアルバイトをしながら今後の人生について考える日々。出た答えはこうだった。
やっぱり、サッカーがしたい――。
今やショー・シモジの名はタイのサッカーファンに知れ渡っているタイでスターとなったショー・シモジ
2012年が終わろうとしていた頃、知人を通じてタイでのトライアウトの話が舞い込む。迷わずタイへ渡ると、名門の一つであるBECテロ・サーサナとの契約を掴み取った。
タイの環境は、少しずつ下地を変えていった。
「人それぞれだと思いますが、僕の場合は、海外に出て日本語の通じない環境で自分と向き合う時間が長くなった。
自分はどういうプレーがしたいのか、と改めて考えたとき、やっぱり見ている人が喜ぶプレーがしたい、と。自分にとってそれは『得点』、というところにたどり着いたんです」
1年目に7ゴールを挙げると、2年目の今季はチーム最多の17ゴール。「ショー・シモジ」の名前は、タイのサッカー界に広く知れ渡った。
岩政大樹とともに惜しまれながらチームを去ることに“タイ・ドリーム”は続く…
どこか満たされないものを感じていたJリーグ時代、現実の厳しさを味わった南米時代を経てタイで開花。リーグ内での評価も急上昇し、来季へのオファーも殺到した。
心情としては今のクラブに残りたい思いも強かったが、プロとして、真っ先に正式オファーをくれたポリス・ユナイテッドへの移籍を決断。年俸は「Jリーグ時代の5倍から6倍」に相当する高待遇だった。
タイで確かな地位を築いた下地。だが、まだまだ自分に可能性を感じている。
「今季の17ゴールは自分でも確かにすごいな、と思う一方で、まだまだ取れる、というのが正直な感想なんです」
わずか2年前、銀座のクラブのアルバイトで食いつないでいた男の“タイ・ドリーム” はまだ終わらない。