近年、日本での注目度も高まりつつあるサッカーのタイリーグ。今シーズンも40人近い日本人選手が同リーグでプレーしたが、とりわけ“日本流”を掲げて戦う注目のクラブがある。タイリーグを代表する名門の一つ、チョンブリーFCだ。
選手のみならずコーチ、スタッフらも多くを日本人で固めるという、世界でも他に例を見ない同クラブの挑戦に迫る――。連載第4回は、トレーナー・白木庸平。
サッカー界で働くとは思っていなかった
「サッカーの世界に来るとは、全く思っていなかったですね。現場でのトレーナーというのも初めての経験だったので、試行錯誤です」
そう語るのは、2012年からチョンブリーFCのトレーナーを務める白木庸平。高校時代までは野球部に所属、来タイするまでサッカーとの縁はなかった。
「何かスポーツに携わりたい」という思いから、高校卒業後に地元・京都の接骨院で見習いをしながら鍼灸師の資格を取得。
スポーツ選手とも接することのできる治療院で計8年間を過ごしたあと、新たな資格取得のため学校に通っている時にタイからの誘いが届いた。
迷わなかったタイからのオファー
きっかけは、高校の一年後輩でありチョンブリーFCでプレーする櫛田一斗。彼を通して、監督のヴィタヤが日本人トレーナーを探している旨を伝えられた。
その時は在学中だったため一度は断りを入れたが、半年ほど経って再び同じ誘いを受けると、白木に断る理由はなかった。
「もともとスポーツ選手に関わりたいという思いは強かったので、抵抗はありませんでした。日本でもプロのトレーナーというのは枠が狭いですし、現場に行ける機会があるなら、と。それも日本を越えて一気にタイに行けるわけですから」
問題の多いタイのスポーツ医療
ヴィタヤが日本人トレーナーの招聘にこだわったことからも分かるように、この分野もまたタイサッカー界の要改善点だった。
「タイのスポーツ医療の水準はまだ低くて、怪我をした選手が段階を踏んでリハビリを行うという概念もありませんでした。タイ人のトレーナーもいるんですが、二日酔いで練習に来たりドクタールームで寝ていたり、というのが実情でした」
スポーツ医療の水準以前に仕事に対する姿勢にも問題があったが、その両面で白木の加入がもたらした効果をヴィタヤは以下のように語る。
「タイのトレーナーは、たとえば練習が3時半からなのに3時半に来てマッサージを始めたりする。庸平君は一時間くらい前に来て、マッサージをしてくれる。トレーナーもみんないい勉強になってるんです」
裏方として伝える“日本流”
一対一で向き合える治療院とは異なり、全選手に目を配らなければいけない現場。白木にとっても初めての環境で、試行錯誤が続く。
「タイ人選手は言葉が通じるタイ人スタッフに相談することもあるので、そういう姿を見たら『今、何て言ってた?』と確認したり、できるだけ全員に目を配るようにしています」
苦労も多いものの刺激的な日々の中で、また新たな目標も生まれた。
「加藤好男さんのように、初の外国人トレーナーとしてタイ代表に入れたらと。そのためには僕自身、もうちょっと世界を見ないといけないと思うので、ヨーロッパでも勉強して、それを落とし込めたらと思っています」
生活の規律、目配りや気配り、志を持って前進するということ。それは選手やコーチに限らない、世界で際立つ“日本流”だ。「できればスタッフ全員、日本人にしたい」というヴィタヤの言葉の真意を、白木も裏方として立派に証明している。
<第5回/小倉敦生(営業・広報)につづく>