近年、日本での注目度も高まりつつあるサッカーのタイリーグ。今シーズンも40人近い日本人選手が同リーグでプレーしたが、とりわけ“日本流”を掲げて戦う注目のクラブがある。タイリーグを代表する名門の一つ、チョンブリーFCだ。選手のみならずコーチ、スタッフらも多くを日本人で固めるという、世界でも他に例を見ない同クラブの挑戦に迫る――。
“日本流”導入の張本人、日本を知るタイ人監督
「日本人は仕事ができるだけじゃなくて、まずは時間を守るとか、成功のための個人一人ひとりの規律ですね。タイの選手はグラウンドの中も外も、それがよくない。(チームに複数の日本人がいることによって)みんないい勉強をしてるんですよ。できれば、スタッフ全員、日本人にしたいね」
流暢な日本語でそう語るのは、チョンブリーFCを率いるタイ人監督、ヴィタヤ・ラオハクル。クラブに“日本流”を取り入れた張本人であり、現役時代はドイツ・ブンデスリーガでのプレー経験も持つタイサッカー界の“レジェンド”だ。
釜本の誘いで日本へ渡った現役時代
日本サッカー界とのつながりも深く、そのきっかけはタイ代表の一員として臨んだ日本代表との一戦。その試合で2ゴールを決めたヴィタヤは、当時日本代表だった日本サッカー界の“レジェンド”釜本邦茂に誘われる形で日本でプレーすることとなった。
現役時代は、日本リーグのヤンマーと松下電器でプレー。引退後はJリーグ創成期のガンバ大阪でヘッドコーチを務め、その後もJFL時代のガイナーレ鳥取で監督を務めるなど、日本での指導歴も豊かなものだ。
日本サッカー界に長く身を置く中で、ヴィタヤの体には“タイにはない日本の良さ”が深く染み込んでいった。
20年で大きな差がついた日本とタイ
「昔、日本はそんなに強くなかったですよ。タイと一緒くらい、変わらなかった。でも、初めて日本に行ったとき、たとえば『2時からの練習』が本当に2時にスタートする。それ、初めてみました(笑)。タイは、ばらばら。日本で、いい勉強をしたんですよ」
ヴィタヤの現役時代、サッカーの実力においてはほぼ同等だった日本とタイ。それがJリーグ開幕から20年が経ち、いつしかその差は大きく開いていた。
ワールドカップ出場は当たり前のアジア最強国となり、「ワールドカップ優勝」を目標に掲げるまでになった日本。一方のタイは、未だにアジアの中堅国にとどまっている。
たったの20年で、なぜここまでの差がついたのか。その理由を、ヴィタヤほど身にしみてわかっているタイのサッカー人は他にいないだろう。
日本を強くした「サムライ」をタイにも
2011年、そんな彼がチョンブリーFCを率いることになったとき、チームの強化に“日本流”を取り入れたのはごく自然なことだったに違いない。
「一人ひとりが変わらないと、タイは強くならない。もうちょっとサッカー、頭を使わないと。タイ人は言い訳が多いのもよくない、『(悪いのは)自分じゃない』とかね。これ、一番ダメ。サムライは、自分で(腹を)切るでしょ。もっとサムライらしくあってほしいな」
サムライを知るタイ人監督と、彼によって集められた5人の日本人。「六人の侍」によるタイサッカーを変えるための挑戦が今、静かに始まっている。
<其の二/加藤好男(GKコーチ)につづく>