選手のみならずコーチ、スタッフらに複数の日本人を配し、“日本流”でチーム強化を図るサッカー・タイリーグの名門・チョンブリーFC。昨年、「六人の侍」として連載で紹介したが、今季はさらに監督、選手と計三人のサムライが加わった。
タイと日本がコラボレーションする異色チームの新たなサムライたちを、3回に分けて紹介する――。第1回は、馬場悠企選手。
大学のチームメイトとタイで再び
「櫛田とは、6年ぶりに一緒のチームでやることになります。京都産業大のユニフォームを来ていた二人がチョンブリーのユニフォームを来ている、なんかすごいですよね」
今季、チョンブリーFCに新加入した馬場悠企は大学時代、現在チョンブリーFCの中心選手として活躍する櫛田一斗と同級生だった。
ポジションはともにボランチ(守備的MF)を本職としており、「プレースタイルが全然違う」とはいえ、良きライバル関係でもあった。
「大学時代はどちらかがボランチで出ると、どちらかはサイドバックということが多かったんです。だから、ボランチで組んだのは10試合くらいだったんじゃないかと思います」
タイ移籍を決断させた「プロ」への思い
馬場がタイへやってきたのは2シーズン前。きっかけはやはり、大学時代のチームメイトであった櫛田のタイ移籍だった。
当時、日本のアマチュア最高峰のリーグであるJFLでプレーしていた二人。2011年に櫛田がタイへ渡ったのを機に、馬場の心に変化が生まれた。
「やっぱり自分も、『プロになりたい』という気持ちが強かったんです。櫛田が移籍した時に『自分も』という気持ちになって、タイへ行くことをモチベーションに一年間を過ごしました」
タイでプロとしてプレーする自分を思い描いて過ごしたシーズンは、充実したものだった。そして、決意は変わることなく翌2012年、馬場はタイへ渡った。
懐かしさを感じる“日本流”
タイ1年目は、当時ディビジョン1(2部リーグ)で戦っていたスパンブリーFCに所属。チームは昇格したが、「いろんなチームを見てみたい」という思いもあり、シーズン終了後にディビジョン1のバンコクFCへ移籍した。
そして3年目の今季、2年間の実績が評価されて名門・チョンブリーFCに加入。日本人監督を先頭に“日本流”で戦うクラブは、やはりこれまでのチームと違う面が多くあった。
「まず、試合中にベンチから日本語で指示が飛んでくることに、えっ、と思いましたね。2年間、ありませんでしたから。やっぱり日本人がいると、厳しい目というか、指摘されることも増えたと思います」
練習そのものに対しても、「攻守の切り替えを徹底的にやる」ところなどに“日本”を感じ、懐かしさを覚えた。
待ち受ける厳しい競争
“日本流”でやりやすい面もある反面、タイ屈指の強豪クラブだけに選手としてはこれまで以上に厳しい競争に晒されることになる。
「試合に出られないからといって、自分が崩れてはいけない。競争は厳しいと思いますが、まずは試合に出た時にいいプレーをして『層が厚い』と思わせたいですね」
リーグ戦では開幕から2試合続けてスタメン出場したものの、試合中の負傷で戦線を離脱。馬場にとっては、大事な時期の“痛い”怪我だった。
この先も厳しい戦いが待っているのは間違いないだろうが、馬場はこう言い切る。「チョンブリーを選んだことは、後悔していません」。
<第2回/橋本早十選手につづく>