反捕鯨団体のキャンペーン
人類が生きていくためには、環境との調和が不可欠であることは、言うまでもありません。
日本が行っている調査のための鯨の捕獲は、資源状態が極めて健全な鯨種だけを対象としており、かつ、それぞれの資源量の1%にも達しない水準であり、環境に影響を及ぼすほどの水準にはありません。
将来において商業捕鯨が再開されたとしても、その捕獲頭数は元本には手をつけず利息部分内に限る捕獲頭数に限定すべきであると考えます。
BSEや鳥インフルエンザの脅威から、最近では水産物の需要が国際的に高まる傾向にあり、日本が主張するクジラを含めた海洋生物資源の持続的利用の立場は、世界的にもますます重要なものとなると思います。
反捕鯨団体のキャンペーンは、クジラを環境保護の象徴にして、他の重要な問題から目をそらさせようとするなどの別の意図を感じます。
自国価値観の押し付け
捕鯨反対団体からは「国際社会から後ろ指を指されるような行為に,子供たちが知らないうちに加担するようなことがあってはならない。」と言われるが、国際社会においては、異なる文化をお互いに尊重し合う精神が必要であり、自国の価値観を他国に押しつけるような行為は慎むべきです。
子供たちには、自国の伝統と文化に誇りと自信を持たせるべきであり、外国の一部の意見に迎合して、自国の国民と文化を卑しめるような卑屈で誤った認識を持たせることのほうが問題であると考えます。
クジラは83種類あり、資源水準はそれぞれ種類によって異なります。シロナガスクジラやセミクジラなど、資源量が低い水準まで落ち込み、保護が必要な種もいます。
一方、ミンククジラ、イワシクジラ、ナガスクジラなど、日本が調査の対象として捕獲しているクジラは、年々増加しており、極めて健全な資源状態にあることがIWC科学委員会において認められています。
IWC(国際捕鯨委員会)でも今、中立の立場から妥協案を模索する形で外部の意見を参考にする取り組みも行われています。
PEW財団の捕鯨シンポジウムでの統計
有名なものではアメリカのpew財団の捕鯨シンポジウムなどがある。
捕鯨に対し、1「強く反対する」「反対する」を「反捕鯨」、2「どちらとも言えない」を「中立」、3「賛成する」「強く賛成する」を「捕鯨賛成」と3分類すると、主要な反捕鯨国4カ国での回答は次のような結果がでました。
The Globe Now: 捕鯨は地球を救うより
すなわち主要な反捕鯨国でも、過半数は捕鯨賛成。
もっとも、この設問はミンククジラが100万頭もいるというIWCの推定をきちんと説明し、さらに適切な規制が行わる、という前提を明記している。こういう点を知らない一般国民は、反捕鯨の比率がもっと高いかも知れない。
しかし、このような合理的な説明をきちんとすれば、反捕鯨国の国民でも過半数が捕鯨に賛成するという点が重要なのである。したがって捕鯨問題の本質は、一部の反捕鯨派の政治宣伝に対抗して、事実と合理的な主張により、いかに国際世論の支持を勝ち取るかという問題です。
これからの日本を考える
これからの日本にとっては、国際問題の中でも捕鯨問題をいかに有利に導くかが、重要な課題で、その理由は、さまざまな国際機構で、加盟国多数派が条約を逸脱して偏向した決定ばかり採択し続けた場合に、条約に基づいた本来の機能を回復させるには、我が国はどう行動すればよいか、それを試みる格好の舞台をIWCは我々に与えているからです。
そのような場合、西欧の一方的情緒論を相手に日本が信じるところを追求する勇気があるかないか、そしてそのような勇気があるならば、その多数派の逸脱行為の是正を求める行動こそ、我々が21世紀の新秩序の中で生き延びる資質として理想とするものなのではないのか?
このような理想を追求する場は、将来捕鯨条約ばかりにとどまらないでしょう。
賢いいきものだから、殺すのはかわいそう
倫理的観点から行くと、捕鯨問題で環境保護団体は、鯨は賢い生き物だから、殺すのは可哀想だと言っている。
そんな人でも普段の食事では、なにかは食べている。ベジタリアンだなんて称していても、肉は食べなくても野菜は食べるという意志表明してるだけのこと。私たちは、普段から野菜を平気に採って食べているけれど、もし野菜に感情があって、声を出せるとしたら料理なんかできなくなる。
野菜の品種改良や遺伝子組み換えは気にもしない癖に、クローン羊やらなにやらには拒絶反応を示す人間。だから食料にするものの「生きている感」をどこまで感じるかによって、食べるということに対する感情は変わるはず。
人間が一切手をつけなくても、野菜や果物もいずれ腐って朽ちるし、動物も寿命がくれば死ぬ。たとえ、動植物が人間に飼われて繁殖したとしても、自然の摂理の中で生きていったとしても、食物連鎖そのものが止むことはない。
これまで絶滅した動物たちを考える
これまでも人間が自然環境を破壊して絶滅にまで追い込んだ種は沢山いる。なにかの種を保護して、その影響で別の種が滅びてしまったとき、それは是とされるのか。間引きを全くしないで、特定種が増えすぎて、他の種の生存域がなくなっていったとき、それも是とされるのか。
ひとつひとつの種のいのちを人間がいただくとき、食べられる側の食材自身は悲しみにくれているかもしれない。だけど一族の一部が他の種の食料としてが饗されることで、逆に自然界のトータルバランスをとって一族の繁栄を保障している面もあることは事実。
食物連鎖の頂点にいる人間だって、自分たちへの食料供給が許す範囲でしか生存できない。
間引きという考えも、自然を管理するという考えも、それが許容されるための条件は、きっと、自然界全体のバランスをとって、おのおのの動植物がなるべく長く一族の繁栄を続けられるように配慮しているときなのだろう。
未来の日本人が、「捕鯨問題」をどう捉えるかが、この問題への終着へ大きくかかわってくるでしょう。
鯨肉を学校給食のメニューに加えている学校が増えてきている。鯨肉を学校給食に出すということは、クジラのイメージとして食料というものを子供たちに与えることを意味します。
一方で、歴史的には捕鯨の大暴走があり。クジラに対するイメージが単一であるというのは、これまでさまざまなイメージを投影されてきたクジラを理解するうえで大きなマイナスであるし、捕鯨問題の真の姿を見えにくくしてしまう恐れすら感じます。
ただ食べるだけでなく、クジラと接する機会を与えたり、絶滅の危機に陥った歴史を教えたりといったことを怠っていては、捕鯨再開を願う勢力の多数派工作にしかならないし、それが子供たちのためになるかどうか大いに疑問である。
理想主義的ではあるが、将来世代の子供たちがより多角的で思慮に富んだイメージをクジラに対して抱くことで、いつか捕鯨問題を正常な方向へ解決することができるのではないだろうか・・・
今回の主役であるキューティーさんと、こんな事を考えながらプロデュースさせていただきました。
寄稿:Mekoli Kato
長年の国際問題「捕鯨 (Whaling)」について日本人代表 DJ QTEE が物申す!2月14日リリース! – HOGEI Feat. MEK & SR
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