1970年代、高度経済成長期真っただ中の東京・下町のドヤ街。
時代の波に乗れる者と乗れない者の格差が容赦なく広がる街に一人の若者が現れる。矢吹丈(ジョー)。
貧困が犯罪と簡単に結びつく時代と街で、ケンカや暴力に明け暮れるその日暮らしのジョー。やがて少年院行き。
石川啄木は自身の生活苦の中、じっと手を見て短歌を書いたが、ジョーはじっと手を見て拳を握りしめた。
ボクシングで世界チャンピオンになる。
ハングリー精神と己の拳一つで成り上がるという男の世界。それが昭和の日本を虜にした漫画”あしたのジョー”。
そんなあしたのジョーのような話がここタイにもある。
富める者と貧しき者の格差が激しいここバンコク。ヨーロッパの高級車がたくさん走る高速道路下のスラム地区に、自身の身体一つで成り上がる日々を夢見る少年たちが集まる場所がある。
96 Penang ムエタイトレーニングジム。
ここでトレーニングする少年たちのほとんどが、タイ国内でもっとも貧困の激しい東北部の農村地域からやってきた少年たちである。
ジムの外で遊ぶ少年たち。仲間同士で冗談を言い合う姿には、まだあどけなさが残ったまま。日本なら両手にテレビゲームのコントローラーを握って遊んでいる年頃だろう。親に甘えてみたり、菓子をねだったり、特段の苦労もなく生きて行けたことだろう。
しかしジムに一歩足を踏み入れた途端、少年たちの表情からは、さっきまでのあどけなさは消え、闘争心溢れる男たちの目に変わる。両手には使い古されてボロボロとなり、汗で黄ばんだバンテージ。その上から毎日のサンドバッグで擦り減った、色褪せたグローブをはめる。
本番の試合のような緊迫した空気。足もとには、大量の血と汗を吸い込み不気味なまでに変色したマット。古びたロープが軋むリングに男たちは上る。リング上にはさっきまで笑い合っていた仲間はいない。ライバルという敵のみが静かな殺気とともに待ち構えている。
そう、リングの上では助けてくれる仲間は誰もいない。たった一人の孤独な勝負。勝者は一人だけの弱肉強食の世界。強い者のみが勝ち、与えられる成功の二文字。
生きる希望が見つからず、貧しさから簡単に犯罪に手を染めてしまう少年がなお多いバンコク。96 Penang ムエタイトレーニングジムのような場所が、少年たちが犯罪の道へと進むのを防ぐ役割を果たしている。
同じ境遇で育った同年代の少年たち。リングの上では殺(や)るか殺(や)られるかのライバルだが、一旦リングを降りれば寝食をともにして一緒に暮らす仲間たち。お互いを支え合って生活している。みなが同じ目的を持って生きている。
少年たちはみな、ムエタイチャンピオンになって家族の生活を楽にする、ただそれだけのために日々の苦しいトレーニングを積んでいる。苦しくても、辛くても、誰も助けてくれない。痛くても、泣いても、逃げ出せない。
田舎で貧困に苦しむ家族が待っているから。
今日もここ96 Penang ムエタイトレーニングジムでは、少年たちが血と汗にまみれて苦しいトレーニングを積んでいる。
ムエタイチャンピオンになって貧困で苦しむ家族を救うために。自らを見つめ直すために。
だから今日も明日もサンドバッグを打ち続ける。
あしたのチャンピオンを夢見て。