バンコクから北西に約350km離れたところにあるサンクラブリーでは、タイ最大と言われるダム湖が存在する。カオレム湖だ。琵琶湖にも匹敵する大きさでタイの人々とっては重要な水源になっている。しかし、実際に訪れてみると湖岸が複雑に入り組んでいて、この湖の大きさを実感するのは難しい。
この湖には昔から水上家屋が存在する。雨季や乾季の水位が大きく変化する湖岸の形状にしたがって、自在に家ごと湖面を動き回れる優れモノだ。風のない早朝や日没時は鏡のような湖面に静かに浮かぶ水上家屋群が、決して鮮やかではないが、のどかでモノクロームな雰囲気を醸し出してくれる。撮影しているとなんだかやさしい気分になれる。
そんな水上家屋群の上にそびえ立つ木造橋こそが、カオレム湖の主役だ。そこに住みついたモン族の人々が作り上げたと言われている。サンクラブリーを訪れる人々を魅了するこの橋は、モノクロな雰囲気の中、厳かな存在感を放っているようにも見えた。一日中いろんな角度から撮り続けても全然時間が足りない。
この下の桟橋からボートに乗って、湖の底に沈んだ寺院を見に行くことができる。30年ほど前にカオレムダム建設のために水没してしまった。1年のほとんどが湖の底にあるこの寺院も、湖の水位が下がる乾季の終わりを狙って訪れると、その姿を現している。寺院に上陸し参拝することも可能だ。船頭さんと交渉し、早朝の霧に包まれた幻想的な写真を撮るために、明朝にもう一度この場所に連れてきてもらうことを約束する。
翌朝5時半、再度湖底寺院に上陸するため、ボートで向かう。静寂の中、我々を乗せたボートは湖面に突き出た木の幹や仕掛けられた投網を巧みに避けながら、滑るように進んでいく。しばらくすると、霧の中からあの寺院が出現する。
霧の中で静かに佇む境内は、まるで湖底に沈む前の雄姿を誰かに見せたくてそこで待っているようにも見えた。写真を撮ることを忘れてしまうくらいの迫力に圧倒されてしまう。ふと我に返り、決して狭くない寺院を散策しながら、一枚一枚噛みしめるようにその姿を写真に収める。こんな幻想的な被写体を独り占めできるのは最高のひとときだ。
陽は昇り、サンクラブリーの街中からさらに北西へ進むと、そこはミャンマーとの国境の街、スリーパゴタに着く。何かいい被写体は・・・と探してみるがこれといってない。しかし、通りを歩いている人々は、ミャンマー民族衣装のロンジーをまとい、頬にはおしゃれな“タナカ”をつけている。
残念ながら、現在のところタイ人以外の外国人はタイからミャンマーへは越境はできないらしいが、異国情緒満点の雰囲気をカメラに収めるには十分だった。開国から目覚ましいスピードで変貌を遂げているミャンマーだが、いつか外国人にも国境のゲートが開かれて、私も陸路で入国してみたいと思った。きっと扉の向こうには感動するような被写体が待っているに違いない。
サンクラブリーは、国境の街にありがちな活気や雑踏は全くと言っていいほど見られなかったけれど、手つかずの秘境を体験することができた。ミャンマーの開国にともなって、変わっていくのだろうけれど、ここだけはずっとモノクロのままでいてほしいと願う。