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タイ人との夫婦喧嘩と足の傷・・・

タイ人との夫婦喧嘩と足の傷・・・

昔の夫婦喧嘩・・・

昔よく夫婦喧嘩をした事をおもいだす。今の妻と一緒になり10年、子供もひとり設けた。お金は無いがそれなりの幸せが訪れた。しかし昔の事を思い出す日が在った。以前の妻は喧嘩をすると見境なく物をぶつけてたり、蹴散らかしたりして手が付けられないくらい家の中を荒らした。その度が過ぎて、等々包丁を持ち出し私に襲いかかってきた。

見境がつかないというのは恐ろしい。私が身を交わした隙に包丁は、私の太ももに刺さりあまりの恐ろしさに私は刺さった包丁を抜かず、外に出ると走り近くの外科に飛び込んだ。看護師は私の左足太ももの包丁を見るなり、先生を呼ぶと同時に警察に届けた。先生は刺さったままの状態でレントゲンを撮り、警察が来るのを待った。

10分ほどすると病院の前にパトカーが止まると2名の警官が降りてきた二人の警官が私の足に刺さったままの包丁の写真を撮り、事件性を確かめた。先生により麻酔が打たれ包丁が抜けると静脈が傷ついたのか太ももから真っ赤な鮮血があふれた。私はその血を見ると卒倒して気絶した。気が付くとベットの上で寝ていた。起き上がると、左足の太ももに痛みが走った。

看護師が来ると10針縫う手術を行いました。後は先生に聞いてください。そう言うと先生を呼びに出かけて行った。間もなく先生が来て、刺された経緯を聞かれた。私は恥ずかしくて少し口をつぐんだが事の重大さを知らされると答えた。

起訴しない・・・

「妻と夫婦喧嘩の末に刺されたと。」と私は答えた。医師は警察に私の言った事を通報すると警察は妻を障害の罪で事情聴取を行う為に警察に連行した。しかし私が「起訴しない。」と言い出したのでその場は納まった。その一ヵ月後。家庭裁判所での離婚が成立した。妻と別れ、新しい職場で新しい人生を送れると考えていた。私は新しい会社に入社すると海外派遣が多く日本にはほとんど居ない状況だった。海外に行くたびに、左足の刺されたところの古傷が痛んだ。足を引きずるほどの痛みに悩まされた。

医者に行くたびに傷を見せるが完治していて、神経系の病気と判断され痛み止めを渡される日が続いた。タイに派遣され、在る女性と知り合い深い中になり結婚した。私のことを驚くほどいたわってくれた。そんな日が続いて癒されたせいか痛みは治まったかに見えた。

3ヶ月を過ぎると、また刺された足が痛み出した。どうしようもない痛みに会社を休むと、タイ系病院に出向いた。日本の医者とは違い超音波やスキャナー等の精密検査が進んだ。しかし映るのは正常な足の映像だけだった。

溜まりかねた妻は、中国の針に行こうと言い出した。針治療は神経には効くと言う事で、私もそう思うと一緒に車に乗りチャイナタウンの中にある有名な針の先生の所に案内された。妻は昔、やはり腰の痛みが続き外科や神経科に行ったが直す事が出来ず最後にこの針の先生を紹介され直してもらった。部屋に案内されると白いベットに寝かされた。

先生らしきひとが来て、妻と少し話すと私の足を触ってきた。先生は気功も達人で、私の足が触られるか触らないかの間隔で手をCTように動かして足の付け根まで見て行った。そして傷痕の上に来ると先生は首をかしげた。先生は「何かが足の傷口の中にある。細く長いものだ。4本ほど重なり神経を刺激している。」

そう言うと先生は「針では直す事はできない。切開手術ですね。」と言うと奥の部屋に消えていった。私は「せっかく治った箇所をあんな腕ひとつでそれも手探りで見て何がわかる。」とズボンをはくと妻を連れ出て行こうとした。すると看護師から止められた。看護師は「今先生が紹介状を書いてますので、しばらくお待ちください。」そう言うとお茶を出された。

妻は「あの先生なら絶対大丈夫だから安心して。足の痛みを無くしてくれる。」そう言うと微笑んでお茶を啜った。

医者は司法解剖医・・・

私は思った。「妻は普段から嘘も言わないし本気で介護してくれた」事を考えると言う事を聞くことにした。15分。先生の紹介状を看護師が持ってきた。いつの間にか待合室は患者でごったがえしていた。紹介状は大学病院の外科部長に宛てられたものだった。一週間。痛みをこらえて仕事に出向いた。そして病院に行く日が来た。妻と病院に行くとやはり、患者や病気の人でごったがえしていた。しかし、その外科の先生であろう人のところだけ、客や患者が一人も居なかった。

私は「あの気功のじじいヤブ医者を紹介したな。」と少し頭にきていた。妻もタイ語で書かれた病室の前の看板を見ると浮かぬ顔になった。字の読めない私は「なんて書いてあるんだ?」と聞くと妻はタイ語の発音で読んでくれた。私は字が読めないが発音がわかったので驚いた。なんと司法解剖医だった。

私は「冗談じゃない。俺はまだ死んでない。」 そう思うと頭に来たが妻の顔を見ると真剣にあの気功の医者を信用してるらしく妻は「絶対あなたの足の痛みを直してくれる。」と言うと私が立ち上がろうとする腕を掴むと椅子に強く引き戻した。私は真剣な妻の顔を見るとおじけづいて座りなおした。早々私の名前が呼ばれると診察室に入った。

診察室の中はホルマリンに漬かった腕や、目玉、足、腸、乳児の死体、などが所狭しと並んでいた。薄気味悪いの一言である。おまけに先生は女医だった。もう50は過ぎている様子で、顔のしわが物語っていた。私がタイ語で容態を説明すると、先生は日本語で話してきた。先生は「私は大阪大学医学部を卒業して大学の法医学研究室に5年居たので日本語や漢字も読めます。」そう言うと私に「さ、ズボンを脱いで。」そう言うと先生は手袋をはめた。私の頭の中では先ほどの警護間が消えていた。先生は太ももの傷を見た後、気功の先生の診察書を見ると「もう一度切開します。」と

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一言言うと、看護師に手術の準備をするように頼んだ。私はズボンや着ていた服を脱ぐと、手術用の服に着替えた。そして局部麻酔を打たれ診察ベットに寝た。看護師がオペルームに運ぶと電気をつけ私の顔に布をかけた。局部麻酔といっても、私は意識がモウロウとしてきたが先生が来るのと足に麻酔が効いているか、つねられる感覚の試験に返事が出来た。

太ももの中から髪の毛・・・

昔の縫い痕にメスがささった。同時に足先の方に10cmほど切っているのが確認できた。「痛いですか?」と質問された。はっきりした声で「痛くありません。」と答えると、「もう少し深く切りますから痛いときは痛いと言って。」そう言われた。足の肉が切れて行くのが微妙なメスの当たり具合で判った。しばらくすると「もう骨が見えてきました。昔の傷はここまで切っていないでしょ」と言った後、中をメスとピセットで確かめている時だ。先生がメスを床に落とした。手術室に「パーンカランカラン」という音が響いた。

看護師が駆けつけた、「先生どうかしまいたか?」タイ語で言うと、「もうひとつメスを持ってきなさい。極細切開用のものお願い。」そう言うと看護師が急いで消毒して持ってきた。どうやら神経の近くまで切除したらしい事が様子でわかった。先生は「神経の辺りに何か黒い細かい糸状の物が何本も絡み付いている。これを取り出します。」と言うと看護師に先生は「カメラ、カメラを持ってきて。」と頼むと先生の手にメスが渡された。先生は「進さん聞こえてますか?凄い物が出てきましたよ。糸ですね。

いや髪の毛かな?」そう言うとシャ-レーに生理食塩水を入れると浮かべて行った。先生は「奥の方にもう一本大動脈神経に絡み付いている物があります。それを出すのにもう少し切開します。」説明は、テープレコーダーに録音するような口調であった。そして10分。切除するとピンセットで細い真っ黒な物を取り出した。

またフラッシュが焚かれた。先生は「これから切開した中を洗い、縫合します。」そう言うと皮膚と皮膚を引っ張る道具が着けられ縫い始めた。手術は2時間かかって終わった。その日は大事をとって入院した。意外なほど痛みが少なく、歩く事もできるのではと思うほどだった。次の日の朝。私は起き上がりトイレまで歩いたが太ももの痛みや脳に達する痛みが無くなっていた。

10時になると先生が現れた。結果の報告と中の異物についての報告だった。先生は「進君、驚かないでください。」私の目を見て先生は話した。先生は「あなたの太ももの中から、髪の毛が出てきました。それも4本。長さは10cmの物が3本、20cmの物が1本。この20cmの長い髪の毛が大動脈神経に絡みつき、圧迫してました。」そう言うと私に髪の毛を見せた。

先生はまた話した。「私も30年間ひとの死体や外科手術に立ち会ってきましたが、このような事例は見たことも聞いたこともありません。これは臨床医師会で発表しますね。」そう言うと私を見た。私は「どうして入ったのでしょうか?」と聞くと先生は「昔包丁で刺された時に、包丁の先に毛が着いていたのでは?」と言った。私は否定した。私は「包丁を抜き終わり、日本の先生は余計に切開されて中を洗浄ました。それを覚えている」そう言うと先生は黙ってしまった。

最後に私が質問した。「その出てきた髪の毛の血液型は?」そう言うと先生は「AB型です。」と答えた。私は前妻の血液型を知っていた。前妻の血液型はAB型だった。離婚して済んだはずと思っていた私は大きなショックと恐怖を覚えた。

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