昨年の5月末、ボランティアの日本語教師としてバンコク郊外の町、バンケーンにある高校に赴任してきてすぐ、僕はタイの「学校」という場所に、僕自身が通ってきた日本の「学校」とは何か決定的に違うものを感じとった。
赴任初日、校内にある寮の部屋から校舎へ向かって歩いていると、まだ顔を合わせたこともなかった日本語クラスの生徒たち数名がかけよってきて、おじぎをしながら声を合わせ、「おはようございま〜す!!」とびっくりするぐらい元気に、日本語の挨拶をしてくれた。
それは「気持ちがいい」というのを超えて、何か驚くほど純粋な感じのする響きを持った挨拶だった。季節は雨季に入ろうとしていたけれど、よく晴れた清々しい南国の朝の空気の中で、彼らはそんなふうに僕を迎え入れてくれた。
赴任初日から授業は始まった。最初の週はタイ人の日本語教師S先生と一緒に教壇に立った。それまで、教師経験のなかった僕はとても緊張した。取り立てて打ち合わせもないままのぶっつけ本番の授業。僕は日本のことや自分のことをできるだけ簡単な日本語を用いて話し、生徒たちから出される質問に答えたりしながら授業は進んだ。
二週目に入ると、早くも一人で教壇を任されるようになった。右も左もわからない中での手探りの日々。だが、一授業一授業をこなし、一日一日が過ぎていく中で、次第に生徒たちの輪郭がくっきりとしてきた。そこに現れた彼らの顔は、日本の学校の生徒たちのそれとは何か違って見えた。彼らは、日本の生徒にはない何かを持っているようにも思えたし、反対に、何かが欠けているような感じもした。とにかく「何か」が絶対に違ったのだ。
そんなある日の朝、S先生がなかなか職員室へやってこないことがあった。しばらくしてようやく姿を見せたS先生は、「ケンカです」と一言、僕に言った。どうやら男子生徒の間で取っ組み合いのケンカが起きていたようで、その対応に追われていたのだそうだ。
(取っ組み合いのケンカか。そういうわかりやすいケンカって、意外と今、日本の学校では少ないかもな…)
ぼんやりとそんな考えが頭に浮かぶと、続いてこんな疑問が沸いてきた。
そういえば、タイの学校にはイジメってあるんだろうか?
僕が尋ねると、S先生は言った。
「日本にはそういうのがあると、聞いたことがあります。でも、タイにはありません」
タイの学校にはイジメがない――。
勉強に励む生徒S先生は当たり前のことのようにさらっと言ったが、僕には衝撃的だった。同時に、彼らの澄んだ挨拶の響きや教室に満ちている「日本の学校とは何か違う」空気が重なってきて、僕は「たぶん、本当だろうな」と納得もした。
もちろん、タイのすべての学校にイジメがないのかはわからないが、S先生によれば「あまり聞かない」と言う。少なくとも、深刻な社会問題化していないのは確かなのだろう。おそらく「イジメのない学校」など一つもないはずの今の日本とはあまりに大きな差だ。
取っ組み合いのケンカはあるけれど、イジメはない。日本はもうとっくに失ってしまった、そんな理想郷のような世界がタイの学校には今も残っている。
ここにはあの、お互いを探り合い、牽制し合う張り詰めた視線がない。愚かしく、無意味な「グループ」も存在しない。すべてが、歪まずに、真っすぐ、そのままの形で伸びているように感じられる。少なくとも、高度成長後の日本に生まれ、日本の学校で育ってきた僕は、こんな「学校」が、こんな「人間の集団」がありうるのか、と信じられない思いがしている。
タイの学校には、なぜイジメがないのか。
その問いは、こう言い換えてもいいような気がする。
タイはなぜ、「微笑みの国」なのか――。
タイの「学校」というこの場所には、多くの人たちを魅了する「微笑みの国」の秘密がぎっしりと詰まっている。