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東南アジアで旋風を巻き起こすカラースタイリスト、田岡道子さん独占インタビュー

どのようなお子さんでしたか?

田岡道子

3歳のころから色に興味を持っていました。祖父が絵を描くのが好きで、家族も皆、絵を描いていました。その影響だと思います。祖父の家にはたくさん絵の具があって、それを混ぜ合わせるのが子供心にとても楽しかったのを覚えています。

祖父は明治時代生まれ。自宅に日本庭園や居間にシャンデリアを構えるなど、当時としてはお洒落な人物で、部屋には暖炉もありました。今、思うと“血筋”かもしれません(笑)。

小学生のころは、父の転勤の関係で京都や大阪に住んでいました。このころ、すでに他の人と同じ服を着るのを嫌がるようになっていました。このため、母にワンポイントの刺繍を入れて欲しい頼んだりしていました。母は手先が器用で、言ってみれば「モノ造り」の名人のような人。お手製の洋服もよく作ってくれました。

とにかく個性的な子供でした。ピアノの発表会などで母が一方的に買ってきた服を着ている時は、どんよりとした表情。一方で、自分で「これだ!」と決めた服で演奏している時は、とても生き生きとしていました。そのころの写真を見ると、よく分かります。中学校の制服は、とにかく気に入らなかった。特に夏服がダメ。そんな子供でした。

中・高校からは福岡暮らし。このころになると、だんだんと好みの色が固まってきました。いわゆるウインター系の、はっきりとした色ですね。当時は全身黒ずくめファッションで、髪の毛は刈り上げて、バンドを組むというのがお洒落なスタイルでした。私もバンドに加入していて、当時の担当はドラム。男性とよく間違われました。

大学時代は、もうお洒落一色!流行にはとにかく敏感で、ファッション雑誌すべてに必ず目を通していました。4年間、ブティックでアルバイトをしましたが、もらったお給料のほとんどは洋服代に消えていました。学校に行く時でさえ、去年モノは二度と着ていかないという徹底ぶり。もちろん、着なくなった服はリサイクルに出していましたけど(笑)。

アルバイト先のブティックは福岡の天神にあって、ブランド品なども扱う有名店。毎月のように新作が売りに出され、「買わなくっちゃ!」と先を争って買い求めていました。今思えば、一生懸命背伸びをしていましたね。

ただ、ここでは営業の何かをしっかりと勉強させていただきました。単にアルバイトと侮ってはいけません。接客マナー、手紙の書き方…。今の私の営業の基礎は、このアルバイト時代にあります。お客様に、いかに笑顔で満足して帰っていただけるか。仕事の厳しさをここで学びました。

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