バンコクのビジネス、商業の中心地サイアームとBTSチットロム駅の間に、エラワン・プームという、ヒンドゥー教の神様を祭った祠(ほこら)があります。祠と言っても、山の中とかにあるのではなくて、大都会のど真ん中、日本でいえば、新宿アルタ前にある感じです。

ネット情報なんかを見ると、たいていこの祠が、タイで一番のパワースポットと言われています。
でも、それは本当でしょうか?

エラワン・プーム
エラワン・プーム

ガイドブック、ネット情報は信用できるか

私は現在タイのウドンタニという地方都市に住んでいます。そして、私が住んでいる街の情報をときどきネットで見かけることがあります。それで思ったのは、「観光客の方が書いたネット情報は、訪問先で目につくかどうかが勝負だ」ってことです。つまり、ホテルの近くにあるところ、交通の便が良いところにあるところにあるのが、「おいしいお店」なのだろうと思っています。

たとえば、うちの街の名前の後ろに、ラーメンっていう文字を入れてネット検索すると、まちがいなく1軒の店が出てきます。そして、たいてい「ウドンタニで人気の屋台ラーメン」とか「ウドンタニで噂のラーメン」とか書いてあります。

しかーし、実際はこのラーメン屋がおいしいという地元の人を知りません。もちろん、噂になっているわけでもありません。更にこの店の外見が、日本の昔の屋台なので「雰囲気がいい」らしいのですが、ウドンタニ市内にはこの店と同じ感じのラーメンの屋台が5・6軒あります。他のラーメン屋台は、目についにくいところにあるだけです。

地元の人がおいしいという日本のラーメン屋は、相当わかりにくいですが、街の警察署の近くのラーメン屋さん六本松(Little Pine Trees)です。こちらは日本人が食べても「ふつう」と言うぐらいの味です。日本からの観光客の方がわざわざ探していくほどではないです。それでも「有名な屋台」とはレベルの違うもので、夕方の食事時間は、まず座れないぐらい地元の人が来ます。(味の感覚は人それぞれですから、私の好みで書いています。)

タイで一番のパワースポットが64歳ってどういうこと

エラワン・プームに話を戻します。この祠は、1953年にホテル建設の際に作られました。つまり、エラワン・プームは、できてからまだ64年しか経っていません。私の母親より若いです。そんなことってあるでしょうか?タイってそんなに若い国でしたっけ。

パワースポットなんて言うのは、もっともっと古くからみんなの信仰の対象だったりする感じがしませんか。

日本のパワースポットはやはり、伊勢神宮

先ほどネットで調べたんですが、日本で一番のパワースポットは、伊勢神宮らしいです。伊勢神宮は、何度か行きましたが、やっぱり「特別な場所」って感じがします。何かわからないパワーというか、厳かな雰囲気の場所です。

伊勢神宮の歴史は、だいたい1500年から2000年ぐらいあって、長い間、信仰の対象となって来たのがわかります。そして、世界の有名なパワースポットをみても、やっぱり最低1000年ぐらいの歴史を刻んできた場所が、パワースポットと呼ばれているようです。

タイは歴史が短いから、パワースポットも新しいのか

昨年、偉大な王様ラーマ9世プミポン王が死去されました。そして現在は10代目のワチラロンコン王の時代になっています。日本の今の天皇陛下は125代目なので、圧倒的に日本の方が古いです。
でも、ちょっと待て、タイにはアユタヤーがあるじゃないか。更に偉大な王様、タイの20バーツ札の裏にも描かれているラムカムヘン大王がいたスコータイ王国があるじゃないか。

そして、その前は。。。(ここからしばらくタイの歴史について書きます。興味のない方は、ずーっと、とばしてください。)

亡くなられたプミポン王(上)とラムカムヘン大王(下)
亡くなられたプミポン王(上)とラムカムヘン大王(下)

タイは5000年の歴史

タイ東北部にあるウドンターニー県というところに、バンチェン遺跡があります。バンチェン遺跡は世界遺産にも登録されていて、そこで発掘されたツボは、独特の模様で有名です。そして、その歴史は古く、紀元前3000年ぐらい、今からなんと5000年前の遺跡です。

つまり「中国4000年の歴史」より更に1000年も古いのです。

バンチェン遺跡を残した人たち

アフリカで生まれた人類は、約5万年~7万年前に、インドシナ半島にやってきたようです。DNAやY染色体の解析によると、この集団は、ほぼ寄り道せずに「まっすぐ」来たので、アフリカを出たときの容姿をあまり変えませんでした。

人種を細かく説明すると、とてもややこしくなりますので、ここでは彼らのことを、茶色い人と呼ぶことにします。彼らの外見上の特徴は、肌が茶色からこげ茶色で、体毛が濃く、手足が長い、目が大きく、ゆるく縮れた髪の毛を持つ人たちです。

↑茶色い美人たち(うちの大学の学生です)手足が長いのがわかります。

シャム人の国=タイ

さて、エラワン・プームを、もう一度思い出してください。エラワン・プームは、バンコクの中心、サイアームと呼ばれる場所の近くにあります。このサイアームっていうのは、タイの昔の名前の英語の読み方で、日本語風に読むとシャムになります。皆さんご存知のシャムネコのシャムです。

タイと言う国は、シャムと呼ばれる人たちが作った国なので、シャム人の国=シャムとなりました。そして、現在のタイ王国は、1939 年6月にシャムからタイに名前が替わった国です。英語名も「Siamサイアーム」から「Thailand」に変更されました。タイと言うのは、「自由人」(奴隷にされていた人に対して)と言う意味です。

シャム人の国

シャム人は、もともと中国の南の方に住んでいた人たち、中国の都周辺の人から南蛮(ナンバン、お弁当屋さんで売っているチキン南蛮弁当で有名)と呼ばれていた人たちだったと言われています。(いろいろな説があります。)このシャム人が、最初に造った国が、スコータイ(幸福の夜明け)という国でした。これが1250年ごろのことです。その後、アユタヤー、バンコクと王朝が移動していきました。それを地図で見るとこんな感じになります。

タイの中心は左半分

地図を見ていただくとわかると思うんですが、タイの歴代の王朝というのは、左半分の上から下のほうに向かって進んできています。つまり、普通の日本人がタイだと思っているのは、タイの領土の左半分だったということがわかります。

スコータイは、右に行きたくなかった?

スコータイ王朝、特にラムカムヘン大王の時代は、とても大きな勢力をもっていました。しかし、タイの右半分地域には行かなかったのです。私はその理由を、「右側には行きたくなかったのではないか」と考えています。

スコータイは、2枚目の地図に黒で丸をした街、ピサヌロークの近くにありました。ピサヌロークあたりから地図上で右に移動しようとすると、広大な森と山の地帯があります。標高はそんなに高くないんですが、今でも4つの国立公園あり、野生のゾウが住んでいます。

ピサヌロークからこの「森」を抜けるのに、直線距離で200キロぐらいなのですが、山を越え、谷を渡り、バイクで飛ばしても5時間かかります。200キロは東京から長野ぐらい、大阪から名古屋ぐらいの距離です。こんな広大な「森」がタイを左右に分けていたと、考えられます。

タイの右半分は別の国だった

では、タイの右半分どうなっていたかと言うと、時代によって違いがありますが、わかりやすく言うと、現在のカンボジアの元になった国(右下)と、ラオスの元になった国(右上)が支配していました。

茶色い人の国シンロウ

バンチェンの人たちの子孫が造った国が真臘(タイ語ではジンロ、日本語読みはシンロウ)という国でした。(550年ごろ)この国は、今のカンボジア、タイ、ラオスにまたがる、大きな国で、この国の首都は、イシャーナプラというところでした。そして、次にできたのが、有名なアンコールワットを造った、クメール王朝です。(タイではカメーンと呼んでいます。)クメール王朝も、真臘と同じように、インドシナ半島のほぼ全域を支配していました。

夕方のアンコール・ワット
夕方のアンコール・ワット

そして、この国の勢力が衰えたときに、シャム族がタイの北部(バンコクから見て左上)にスコータイ王国を造りました。また、少し遅れてラーオ族がつくったのが、ランサーン王国(バンコクから見て右斜め上)です。

百万頭のゾウの国は、今のラオス

今のラオスの首都、ビエンチャンの一番の大通りを「ラーンサーン通り」と言います。このラーンサーンというのが、ラーオ族(シャム族とだいたい同じ人たち)の最初の王朝の名前です。1353年のことでした。
ラーンは100万、サーンは、タイ語だとチャン、ラオスの言葉で、ゾウと言う意味です。この国の王様は、100万頭のゾウの軍団を指揮して、戦争をしたと言われています。

約100年前に今の大きさのタイができた

インドシナ半島では、多くの戦争が繰り返されました。戦争による領土の奪い合い、そして勝った国は、その土地の人たちを奴隷にしたりしました。その結果、民族間の混合が進みました。最終的に、今のタイの領土が確定したのが1893年、100年ちょっと前のことです。

5000年の歴史を持つ田舎、イサーン

イサーンは、今はタイの東北部と言う意味です。イサーンは、カンボジアのシンロウ王朝の首都、イシャーナプラからできた言葉です。人々は、右側の人たちという意味を込めて、タイの右側にあった地域にイサーンと名付けました。

イサーンはクメール王朝の首都からも、ランサーン王国の首都からも、バンコクからも遠く離れた場所でした。ですから、イサーンの文化は、素朴で、温かい田舎の文化を今も持っています。
イサーンに住んでいる人たちのほどんどは、仏教を信じているのですが、それと同時に、パヤナーク(ナーガ、ナーガパヤナークとも言います)と呼ばれる、メコン川に住む7つの頭を持ったリュウと、森などに住む精霊を信じています。

パヤナーク
パヤナーク

タイの最強のパワースポットはカムチャノー(คำชะโนด)

イサーンの人たちが信じるパヤナークと精霊の聖地が、カムチャノー(※)です。私はこのカムチャノーこそ、タイ最大のパワースポットだと思っています。※カムチャノーはタイ語で書くと、คำชะโนดです。日本語で表記するとカムチャノートとなるのですが、タイ人は普通最後の音を発音しませんので、ここではタイ人の発音に従い、カムチャノーとします。

カムチャノーは、バンコクから飛行機で1時間のウドンタニ県にあります。ウドンタニ市内からは車(タクシー)で約1時間半ぐらいのところにあります。上の方に書いたバンチェン遺跡からも遠くありません。

カムチャノーは、とは何か

左下の写真の小さな池は、パヤナークの住む水底の宮殿につながっていると信じられています。また、右の写真の森に、精霊が住んでいると信じられているのです。この森は、それ自体が池の上に浮いている浮島になっていて、神秘的な雰囲気を持っています。

そして、この森には精霊が住んでいるので、この島から葉っぱ1枚たりとも持って帰ることは禁じられています。
カムチャノーには、タイ国内ばかりではなく、ラオスなどからも観光バスなどで、大量の人たちが、毎日訪れて祈りをささげています。気候の良い休日だと、入り口から精霊の森に着くまで、数時間並ぶこともあります。

ウドンタニからカムチャノーまでの地図。
タクシーの運転手さんに、以下のタイ語を見せれば行けます。
ฉันอยากไปคำชะโนด(カムチャノーへ行きたい)

タイはとても奥深い、そして面白い

タイはインドシナ半島の中心にあり、インド、中国、カンボジア、ラオス、ミャンマーなどの影響を受けた、雑多で複雑な文化を持っています。人種的に見ても、オリジナルの「茶色い人」に加えて、1000年ぐらい前に中国の南方から来たタイ族、ラーオ族、更に華人といわれる100年ぐらい前に中国から流入してきた人たち、またベトナム、インドなどからもたくさんの人がタイ来て暮らしています。

タイ旅行というと、バンコク、プーケットをイメージされる方もたくさんいらっしゃると思うのですが、ぜひ5000年の歴史を持つタイの田舎にも、足を延ばしていただきたいと思います。パヤナークと精霊が、きっとあなたを癒してくれると思います。

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