,

微笑みの国タイ、そして人情の村イーストパタヤ

EastPattayaの最初の家
EastPattayaの最初の家

親切なお隣さん

EastPattayaでの最初の住居はタイに移住して以来初の一軒家を借りた。家賃はその直前に住んでいたBangkokのコンドミニアムの1/3の1万バーツ(約3万円)。

間取りは2LDKに家を取り巻く小さい庭とParking。もちろん全家具付き。正直その安さに驚いた。それと同時に「なんでもっと早くここに越してこなかったんだ!!」と後悔しきり。ただ契約時に一つだけ問題が浮かび上がった。「保証人」が必要なのである。

パタヤに住んだことはないので、知り合いなどいない。はー、まいった~と思っていたら、大家さんとやり取りしている俺たちの姿を見て、お迎えに住むカナダ人の退役軍人のBobさんが「保証人が必要か?わかった、俺がなってやるよ」と名乗り出てくれた。それまで住んでいたBangkokとはかなり様子が違うことに気がついた。

当時の愛犬 SHOUYU
当時の愛犬 SHOUYU

優しい妹

この村に来て3日目から、この村で一番古くからある英国人とタイ人の夫婦が経営するBarに仕事が終わると毎日通った。いかす女性も洒落た内装も音楽も無い、「客が話す場所を提供したい」というオーナーの方針の店である。客はヨーロッパ人の男性とその嫁のタイ人であり、その中に唯一日本人の自分が居た。この村のBarのお客さんは全てこの村の永住者なので、決まった顔が決まった時間に決まったBarに毎日現れる。

オーナーの奥さんPingさんが自分を妙に可愛がってくれて、全ての客に「This is my brother Taro from Japan」と紹介してくれ、多くの白人とその嫁のタイ人の友達ができた。この店を私はFamily Barと呼んでいた。ここに暮らして7ヵ月、それまで順調だった仕事も、日本の不景気の煽りで下火になり、次なる仕事もなかなか見つからず、貯金もほとんど底をつく状態になった。手持ちの現金はポケットに50Baht。これが全て。

住んでた家には2か月の敷金を払っていたので、1か月は家賃無しで住める。その間に職探しと安い部屋を探すことが先決であった。この店で働いていた当時19歳のNoyという子を妹のように可愛がっていた。ある日彼女に店が終わった後「Taroちょっと付き合って」と言われ一緒にATMへ行った。当時の彼女の給与は3000Baht。その日は給料日で銀行にはJust3000Bahtが入っていた。

そこから彼女は2000Bahtだけ引き出すと、「私はタイ人だから1000Bahtあれば1か月暮らせる、でもTaroはFarangだからそれじゃ足りないから残りの2000Bahtを貸してあげる」と言って、自分に手渡してくれた。タイ人の人情を感じた初めての出来事だった。

安アパートだが部屋はオーシャンビュー
安アパートだが部屋はオーシャンビュー

本当の人情を教えてくれたタイの母

それと並行して、英国人の嫁のNutchさんが色々世話を焼いてくれた。彼女のことを「タイの母」と今でも呼んでいる。当時俺の持っているものをお金に変える方法を教えてくれ、アパートの敷金を作り、アパート探しを手伝ってくれた。

それを基に冷蔵庫もクーラーもテレビも温水器も無いタイ人専用の2500Bahtの安アパートに越した。多くの知り合いからは「日本へ帰って来れば」又は「日本へ帰れば」と言われたが、彼女は「Taroがタイに居たいのなら、何でも協力するから頑張ろうよ。私たちはお金は無いけどNaamJai(人情)はあるから。」と言われた。

その言葉の通り、毎日3食食事を食べさせてくれ、普通のたばこが買えないので、10Bahtの手巻煙草を買って巻いてくれた。日本に居たら自殺も考えるほどの辛い状態であるが、あの時の毎日は人生の中で一番幸せな時期だった気がする。

この他にもこの村で受けた人情は山ほどある。

だからEastPattayaに居る限り、自分は人情を絶対忘れない。自分が受けた人情をこの村で今は少なからず返し始めている。特にこの妹とタイの母のためには自分の命を捨てることも出来るだろう。もちろん今でも仲良しの3人組である。そして、この人情こそがが自分がEastPattayaを永住の地と決めた最大の理由である。

今の日本にこれだけの人情は残っているかな?

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

Twitter で

Written by taro seki

taro seki

30年来のITエンジニア。タイ在住16年、最初の8年間を首都Bangkok、その後Pattayaへ生活、拠点を移し現在に至る。Pattayaの住居は海側ではく、日本人にはほとんど知られていない東の山側のEastPattaya、通称「Dark Side」に置く。15km四方に日本人はわずか10名程度、住人の半分は永住者のFarangという、英国人が20年前位から開発した静かな村である。日夜ここから俯瞰的に見え隠れしている、タイと日本の関係を独り言を含め紹介していきます。

anngleのページ内にコメントを残す