「物件オーナーとも知り合えて勉強の毎日!」不動産仲介業、飛騨晶子さん

タイで働く女性たち

バンコク生まれ。就職で再びタイへ

父の転勤に伴って父母姉が一家で赴任中、バンコクの病院で生まれた。日本の土を初めて踏んだのは小学校に進む直前、5歳8ヶ月になるときのことだった。

当時はまだ、高架鉄道BTS(スカイトレイン)や百貨店のエンポリアムさえなかったスクンビット地区。今よりスコールがはっきりしていたのを肌で覚えている。

それから10数年。再びタイに降り立ったのは、大学卒業後、間もなくのこと。十分とは言えなかったタイ語をマスターしたいと、タイのデパートに現地採用として入社した。

「ここで辞めたらダメ!と考え直した」

IMG_1462-1

最初の仕事は「ジャパニーズ・カスタマー・サービス」。日本人客の通訳や渉外が主な業務だったが、忙しかったり暇だったり。もう少しスキルを磨きたいと、3年ほどで自動車部品メーカーに転じた。

工場はバンコク南部、郊外にあった。公共交通機関では通勤できないため、車を購入、自らハンドルを握って通った。ここでの仕事は、社長付きの通訳だった。

だが、初めてのメーカー勤務。しかも専門用語ばかりで、何を言っているのかもわからない。「正直、辞めたくなったけど、ここで辞めたらダメ!と考え直した」

「関心を持つようになれば変わるかも…」

興味の持てなかったモノづくり。「ひょっとして、関心を持つようになれば変わるかも…」と、時間を見つけては現場のラインに近づいた。

忙しくしている技術者の横で「これは何と言うのですか?何のために使うのですか?」と尋ねて回った。初めは戸惑っていた技術者たちも、やがて親切に教えてくれるようになった。

それでも自信が持てるまで2年近くがかかった。だが、その頃には、モノづくりがすっかり好きになった自分がいた。馴染みの薄かった「生産管理」も身近な言葉となっていた。

経営にも関心が向くようになり、働きながら国立マヒドン大学大学院に進み、一般経営学の修士号を取得。さらに新しいチャレンジがしたいと、金型部品商社の営業職へと転身、自分で車を運転して工業団地廻りをした。取引先は日本企業だったり、タイ企業だったり。仕事が楽しかった。

タイでの暮らしが日本よりも長く!

hida-san

現在の仕事、「バンコク不動産」は2年前から。顧客とオーナー双方の立場に立った仲介・営業を心がけている。昨年三つ子を出産、身重のからだで仕事を続けるのは大変だったが、今では小さい子供を持つ母親の目線で物件紹介ができるようになった。

はじめのころはインターネットウェブサイトでの運営だったが、顔の見える営業もしたくて、つい先日には日本人が多いスクンビット地区に事務所を構えた。スクンビット・ソイ39、Supalai Placeにある。

夫は内装設計と施工会社を経営している。「物件の紹介から内装までご提供できるのが、ウチの強み」。タイで生まれ、タイで言葉と仕事をマスターした飛騨さん。タイでの暮らしが日本よりも長くなっていることに、最近、気づいた。

「バンコク不動産」のホームページは次のとおり。http://www.bangkok-fudosan.jp/

タイで在留届を提出済の日本人は最新の2012年統計で約5万人。企業などの駐在員や永住者、その家族などが多くを占め、滞在する男性の多くが仕事を持って暮らしている。女性についてはビザの関係から就労が難しいと一般的に理解されているが、実は「働く」女性は決して少なくない。新企画「タイで働く女性たち」では、タイで仕事やボランティア活動などに就き、活躍する女性たちを追う。

おすすめ関連記事